こんにちは。

朝晩が、ほんの少し涼しくなって
ホッとしています(^^)
秋か待ち遠しいキラキラ


岡山県倉敷市でヒプノセラピー(前世療法、未来世療法、インナーチャイルド)を行なっています。
今、抱えている問題の根本原因を探り、原因のエネルギーを解放して本来のバランスを取り戻します。
前世への誘導率は98%と高く、ほとんどの方が前世を思い出しています。
東京、名古屋、大阪、広島、福岡でも個人セッション&セラピスト養成講座を行っています。

[広 島]個人セッション(3時間)
 12月4日㈪ 5日㈫

コロナ禍で、
長い間お休みしていた県外出張を始めました。
皆さまのご予約をお待ちしています(^o^)
 
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〈前回の記事〉




黒田官兵衛の人生を大ざっぱに
お話ししていますにっこり


稀代の軍師と呼ばれ
豊臣秀吉がもっとも頼りにして、
もっとも恐れていた。

『もし、わしが天下を取らなかったら、やつが天下人になったかもしれん』と、秀吉に言わしめた黒田官兵衛。

しかし、それを聞いた黒田官兵衛は
喜ぶどころか、青ざめて、
頭を剃って出家しました。


豊臣秀吉を天下人にするために、
知略を巡らせ、数々の戦を勝利に導きました

にも関わらず、
『次の天下人を狙っているのでは、、、』

と、疑われて、冷遇されたチーン

輝かしくも、切ない激動の人生。




豊臣秀吉の日本統一に向けて
黒田官兵衛は、着々と進めていきました。


1587年に、島津氏を降伏させます。


豊臣秀吉に
福岡県の6郡12万石を授かり、統治します。

が、これまでの功績に対して
12万石は、あまりに少ない💧

黒田官兵衛に何万石も与えたら、
天下を取りにくる!と、
秀吉は、官兵衛恐れたからです。


1590年
最後まで従わなかった北条氏を
討ち滅ぼして、天下を統一しました。

しかし、その2年後
今度は、朝鮮を攻めました😱

天下を統一しても、なかなか
戦乱の世は終わりません💦


豊臣秀吉が死去すると、
黒田家は徳川家康に従います。

1600年
関ケ原の戦いでは、黒田長政は、配下の軍勢を率いて、徳川家康側に参加します。

そのため、
黒田官兵衛のいる中津城はもぬけの殻。

それでも、黒田長政が留守の間、
お城の防衛をする官兵衛は、
貯金を全額はたき、浪人9,000人を集め

九州内で、
豊臣軍についた大名を次々と撃破!

九州版の関ケ原の戦いと呼ばれました。

関ケ原の戦いがもうできない長引けば
黒田官兵衛は、九州を征服し

中国地方に攻め込み
天下統一を狙っていたのではないか。
と、言われています。

う〜〜ん🤔
本当のところどうなんでしょうか。

黒田官兵衛の本心が知りたいですよねグラサン


1615年に、
黒田官兵衛の人生は幕を閉じます。



では、次回、
「これは、黒田官兵衛じゃないかな🤔」
というお話しします。