せっかく登場してくれた懐かしい祖母
またちょこちょこ武勇伝を思い出させてね
祖母は晩年直腸ガンを患って人工肛門をつけていた
手術をしては再発を繰り返し…精神的な負担は相当なものだったと思う
ずーっと仕事をしてきたすごくバイタリティのある祖母だったので、思い通りにならない身体は余計に辛かったんじゃないのかな
それでも自分のガン細胞を「ガンちゃん」と呼び、
「ガンちゃんも死にたくないんだからね、一緒に生きていくのよ。仲良くね。」
と自分に言い聞かせるように私に言っていた。
祖母はどんな状況でも周りのひとの前では気丈なひとであり続けた
しょっちゅうかかってくる悩み相談の電話には厳しくも的確なアドバイスで叱咤激励して
自分の子ども達にも、嬉しくて涙を流すことはあっても、辛さや弱音を吐くことはなかった
だからみんな未だに祖母のことは気丈なひとと言う
でもね、私だけが知っている祖母の顔がある
私はよく祖母の部屋に遊びにいった
一緒に夕陽を見たり、マッサージをしたり、ベッドに2人で横になったり…
そんな時に祖母は自分の身体のことや子ども達(私にとっては母や伯父達の)の心配事、いろんな悩み事を話す
どうしたらいいかなぁと答えを求めるときも
ベッドでは私の手を握りながら色々な話をしてくれた
戦争の時の話
赤ちゃんの時に亡くなった妹の話
結婚の話
子ども達の昔話に将来の心配事
仕事の話
大事にしていることの話
悲しかったことや悔しかったことの話
一緒におしゃべり楽しかったなぁ
たくさん悩みや不安を話した後は、必ず自分に言い聞かせるような前向きな言葉で終わる
上記のように名言が出てくる
そして、スッキリした表情になった祖母はいつもの気丈なひとになって、みんなが集まる茶の間に戻る
でも時々、おしゃべりしている最中に私の母が部屋に入って来ることがあった
そんな時は瞬時に母の顔に戻る祖母
隣で見ている私はさすがだなぁと思っていた
最期の最期まで母であり続けて、気丈なひとであり続けた祖母
最期は遠く離れた私の家の近くの緩和ケア病棟で命を全うする姿をみんなに見せてくれた祖母
最期の一息を私は今でも忘れない
気丈な祖母と2人きりの時の祖母とどちらも大好き
昨日は気丈な祖母に喝を入れてもらったけれど、今日は2人きりの時の祖母とゆっくりお話したい気分です
ねぇおばあちゃん