昨日は、長崎の平和祈念式典を娘のみかんと一緒に、テレビで観ました。
小学生だし、すぐ飽きるかな?と思っていたら、小一時間、テレビを観ながら質問攻めでした。
「どうしてお水をお供えするの?」
桶に入ったお水を持っている小学生代表を見て、
「(昔のことについての式なのに)どうして子供がいるの?」
その当時に生まれていた、おじいちゃん、おばあちゃんがやるんじゃないの?という疑問でした。
「どうして爆弾を爆発させたの?」
「爆弾からそういうの(熱とか放射線)が出るなら、爆弾を持って来た人は自分も被っちゃうのでは?」
「なんで戦争するの?」
「戦争が嫌な人は嫌だって言わなかったの?」
「戦争をしたい人と、したくない人が両方いる国は、戦争する国?しない国?」
できる限り答えたけれど、一つ一つの質問が、それだけで大きなテーマになりそうなもので、
知りたい気持ちに、十分に応えられた気がしませんでした。
これから、毎年、子供と一緒に勉強しようと思います。
原爆の日は、核兵器の恐ろしさを伝えるだけでなく、戦争の恐ろしさも象徴している気がします。
これからもずっと、平和であってほしいです。
でも、世界の様子を見ていると、ただ平和を強く望む気持ちだけでは、
国(の平和)を守れないように思ます。
そして日本の様子、つまり、今のコロナへの対応や五輪の運営、
被爆体験者に対する態度を考えると、国際社会で、したたかに立ち回れるのか、
被害を受けた一般人に、救済の手が差し伸べられるのか、非常に不安です。
みかんちゃんとは、仮の話ですが、もし日本が将来、大きな戦争をすれば、
今はまだ赤ちゃんのゆず君は、戦争に行ってしまうかもしれない、という話にもなりました。
私の赤ちゃんが戦争に行くと一瞬想像しただけで、具合が悪くなりました。。。
できる限りの範囲で、にはなりますが、
自分の子供達には、幸せな子供時代と、世の中の動きに目を向けること、自分で考える力を
プレゼントできたらいいなと思います。