我が家ではごくご~くまれに、簡単な実験のような遊びをします。
ガムテープを光らせたり、寒い日にお皿に水を入れて凍ったかどうか、朝確認したり。
先日は、ボタン電池が幼い子供(家ではゆず君)にとって危険であることを、
小学生のみかんにわかってもらいたいと思い、ボタン電池の実験をしました。
使わなくなった歩数計から、ボタン電池を取ってきて、お肉の上に置きました。
そして・・・・・・数時間たっても何も起きませんでした![]()
予想では、お肉に穴が開くはずだったのですが!
なぜ電池が反応するのかも考えず、最初のやり方はちょっと雑すぎました。
ネットで調べ直し、塩水にお肉を漬けたのですが、反応はありませんでした。
うーん、電池が古すぎたかもしれません。(電池切れになって、数年経過)
娘のみかんは、どうなった~?見たい!見たい!と楽しみにしてくれたのですが・・・・。
私 「お肉が黒くなったり、穴が開く予想だったんだけどね。あはは。」
みかん「でも、実験が失敗だったわけじゃないよね。
この場合はこうなるっていうことが、わかった実験てことだよね。」
いやはや、冷静だね、すごいなって思いました。
これは科学で最も大切な考え方の一つだと思います。
今回が「電池でお肉に穴をあけちゃうショー」なら、大失敗ですが、一応は、実験。
実験者の思いがどうかなんで関係なく、この場合はこうなるという、結果が全てです。
人の望む結果をひねり出すのが実験ではありませんものね。
コロナ禍で、
・自分の考えとは違う意見をじっくり検証することは、楽でも楽しくもなく、
自分の考えを補強してくれるような、データーや意見ばかりに注目したくなる誘惑が、いかに強いか、
・情報の中から推測や感想を排除して、事実だけを取り出し、
さらに自分の偏見を最小限にして、冷静に考えることがいかに難しいか、
身に染みて感じました。でも、これができなければ、科学的な物の見方とは言えません。
自身の思考が「科学的な考え方」に近ければ近いほど、
「科学的を装った非科学的な意見」を見抜くこともできるでしょう。
みかんちゃん、「この場合はこうなるってことだよね」とさらりと言ったその感覚を、
磨いていけるといいね。きっとできるよ。