思惑通りにならなかった実験と、驚きの言葉 | カカオ77%のブログ

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我が家ではごくご~くまれに、簡単な実験のような遊びをします。

 

ガムテープを光らせたり、寒い日にお皿に水を入れて凍ったかどうか、朝確認したり。

 

 

先日は、ボタン電池が幼い子供(家ではゆず君)にとって危険であることを、

 

小学生のみかんにわかってもらいたいと思い、ボタン電池の実験をしました。

 

 

 

使わなくなった歩数計から、ボタン電池を取ってきて、お肉の上に置きました。

 

そして・・・・・・数時間たっても何も起きませんでしたびっくり

 

予想では、お肉に穴が開くはずだったのですが!

 

 

なぜ電池が反応するのかも考えず、最初のやり方はちょっと雑すぎました。

 

ネットで調べ直し、塩水にお肉を漬けたのですが、反応はありませんでした。

 

うーん、電池が古すぎたかもしれません。(電池切れになって、数年経過)

 

 

 

娘のみかんは、どうなった~?見たい!見たい!と楽しみにしてくれたのですが・・・・。

 

私  「お肉が黒くなったり、穴が開く予想だったんだけどね。あはは。」

 

みかん「でも、実験が失敗だったわけじゃないよね。

 

     この場合はこうなるっていうことが、わかった実験てことだよね。」

 

いやはや、冷静だね、すごいなって思いました。

 

 

これは科学で最も大切な考え方の一つだと思います。

 

今回が「電池でお肉に穴をあけちゃうショー」なら、大失敗ですが、一応は、実験。

 

実験者の思いがどうかなんで関係なく、この場合はこうなるという、結果が全てです。

 

人の望む結果をひねり出すのが実験ではありませんものね。

 

 

 

コロナ禍で、

 

・自分の考えとは違う意見をじっくり検証することは、楽でも楽しくもなく、

 

 自分の考えを補強してくれるような、データーや意見ばかりに注目したくなる誘惑が、いかに強いか、

 

 

・情報の中から推測や感想を排除して、事実だけを取り出し、

 

 さらに自分の偏見を最小限にして、冷静に考えることがいかに難しいか、

 

 

身に染みて感じました。でも、これができなければ、科学的な物の見方とは言えません。

 

自身の思考が「科学的な考え方」に近ければ近いほど、

 

「科学的を装った非科学的な意見」を見抜くこともできるでしょう。

 

 

みかんちゃん、「この場合はこうなるってことだよね」とさらりと言ったその感覚を、

 

磨いていけるといいね。きっとできるよ。