堺屋太一は、小説において、ヒデヨシの弟である秀長を主人公にして、名補佐役として描いた。

 そして、「もしも秀長が長生きをすれば、イエヤスは、天下を取れなかったかもしれない」とも指摘している。

 秀長というニンゲンは、キケン・もんだい・トラブル・モメごとのショリ・かいけつなど、そしき・勢力の足元・内部をかためる、ジミでつかれる、たにんがイヤがるようなシゴトであっても、コツコツと、実にていねい・かくじつにおこなったらしい。

 ヒデヨシの弟であるために、はやい時期から、ヒデヨシにつき従った。そして、「たくさんのたたかいに参加し、従事した」という戦歴もある。

 その上さらに、人柄も温和であった。かつ、晩年には、100万石以上の領地も持っていた。

 等々、ずのう・のうりょく・さいのう・資質・じつりょく・実績・人望などを併せ持った、まさに理想的な補佐役・ナンバー2であったといえそうである。

 もしも、秀長が長生きをしていれば、官僚的な三成たちと、ゲンバの猛将との軋轢・トラブル・モメごとを、うまくショリ・かいけつし、抑えることがデキたかもしれない。

 もしそうなれば、「ヒデヨシの死後に、イエヤスが、大名間のあらそいを促し、激化させて、ソレに乗じて、関ヶ原のたたかいを引きおこし、天下を取ってしまう」というカタチ・ながれを阻止し、ふせぎ、回避することがデキたかもしれない。

 だがしかし、この不出世の名補佐役・ナンバー2であった秀長は、ヒデヨシよりもはやく、先に死んでしまった。

 コレによって、「トヨトミ政権は、内部・足元がガタガタになり、イエヤスがつけ入る隙がデキてしまった」ともいえそうである。

 ハデさがなくて、ジミであり、目立つことはないのだが、おそらく、ほかのダレよりも、トヨトミ政権にとって、ひつよう不可欠な人材であったかとおもわれる。

 この秀長の死というものが、トヨトミ家の滅亡、そして、イエヤスの天下取りにたいして、重大な影響をあたえた。ともいえそうである。

 ニンゲンが、たにんを評価するとき、どうしても、秀長タイプのニンゲンを、たかく評価しないケースがおおい。それどころか、低く評価してしまうケースもおおい。

 ハデさがなくて、いかんせんジミであり、目立たない。そのために、注意を引かないからかとおもわれる。そのせいか、真の価値というものが、わかりにくい。

 だがしかし、こういうタイプのニンゲンは、おそらく、いなくなってから、はじめて、その価値・重要性というものが、わかるタイプなのかもしれない。

 最澄は、「一隅を照らすニンゲン人が国宝だ」というイミのことをいったらしいが、たしかに、「ハデさがなくて、ジミであり、まったく目立たないタイプのニンゲンこそが、じつは、たいせつ・重要な役わりを果たしている」というケースは、たくさんあるかとおもわれる。

 すくなくとも、秀長は、トヨトミ政権にとって、おそらく、国宝以上に価値のたかい、「宝」だったかとおもわれる。