あたりまえのことではあるのだが、「ものごとを、りづめでいっこいっこ、リクツをつみあげてかんがえる」というタイプの思考のやりかたは、どうしても、その思考のスピードがおそくなる。
こういう思考のやりかたは、たしかに、こまかいところまで、ちみつに、堅牢になり、ムリ・むじゅんがすくない思考のないようになるかもしれない。
だがしかし、「とっぱつてきな事態がおきたり、よそうがいの状態になってしまった」というたとき、つまり、よそくすることができないような、へんかのはげしい状態においては、こういう、「ものごとを、りづめでいっこいっこ、リクツをつみあげてかんがえる」というタイプの思考のやりかたでは、どうしても、その「すぐへんかする状態」にというものたいして、ごてごてになり、まにあわなくなってしまう。
よそうがいのできごとがおきて、とっぱつてきな事態や、よそうがいの状態になってしまった。しかも、じかんをかせぐことができず、「さきのばしする」ということが、どうもできそうにない。つまり、すぐに、なにかしらのけつろんをだして、けつだん・意思けっていをしなければならない。
と、こういうケースにおいては、ぞくにいう「即断即決」というものが、どうしてもひつようとなり、もとめられるはずである。
だがしかし、この「即断即決」という行為は、たいていのばあい、ハズレてしまうことがおおい。つまり、まちがえてしまうのである。
いいかたをかえれば、「じぜんのだんかいにおいて、じゅうぶんな、ちょうさ・じゅんび・思考ができていない。そういう状態においても、そのものごと・状態について、ただしくりかいし、はんだんして、てきせつに、けつだん・意思けっていができる」というタイプのひとは、ほとんどいないといってもいいであろう。
だからこそヒトは、じぜんのだんかいにおいて、まったくよそくをしていない、「よそうがいの事態」であったり、あるいは、たんきかんで、コロコロと状況がかわってしまうような、へんかのはげしい状態のことを、このまないかとおもわれる。むしろ、きらうといってもいいかもしれない。
どうやら、「平穏無事に、じぶんのじんせいをおくりたい」という期待・がんぼう、かんがえかた・おもいをいだいているヒトは、よのなかに、たくさんいるかとおもわれる。
おそらく、そのりゆうのひとつに、「即断即決をすると、りかい、はんだん、けつだん・意思けっていなどを、まちがえてしまうことがおおい。そのために、ヒドイめにあってしまうから」というものがあるのかもしれない。