ひっしになってどりょくして、どれほどがんばったとしても、むくわれず、成功しないこともありえる。では、そのげんいんは、いったいなんなのであろうか。
こういうことについて、アレコレとかんがえてみると、まず第一に、「そもそもじぶんに、そのぶんやのさいのう・のうりょくがなかった」ということがあるであろう。
そして、第二に、「運がわるかった」というものがおもいうかぶ。
どれほどじぶんがだいすきなことであっても、のうりょく・さいのうがないのであれば、しょせんは、へたのよこずきであり、そのぶんやで、おおきな成果・じっせき・けっかをだすことはできない。そういうことはおおい。
あたりまえのことではあるのだが、やきゅうがだいすきなひとでも、そもそも、うんどうしんけいがわるければ、どれほどひっしになってどりょくして、がんばってれんしゅうしてみたところで、プロやきゅう選手にはなれない。
このようにかんがえてみると、そもそも、じぶんに「さいのう・のうりょくがない」というぶんやのことであれば、いくらどりょくしてみたところで、どうしようもない。と、こういうけつろんになりそうである。
また、これまた、あたりまえのことではあるのだが、「運のよしあし」というものは、だれにでもあるはずである。
たしか、「不運の天才」というコトバがあったとおもうが、あるぶんやにおいて、「天賦の才」といえるほどに、すばらしく、たかいのうりょく・さいのうをもっているのだが、運がわるく、それをいかすことができなかった。そういうひとはありえる。
じぶんのおかれたかんきょうや、あるいは、よのなか・しゃかいのじょうせいが、そのすぐれたのうりょく・さいのうにたいして、うまくてきごうすることがなかった。というケースは、じゅうぶんにありえそうである。
にほん史のなかでの「天才」についてかんがえると、おおくのひとのアタマのなかに、おそらく、「織田信長」のなまえがうかぶとおもわれる。
このじんぶつが、あれだけのかつどうをして、おおきな成果をだすことができたのは、そもそも、とうじのにほんが、「かこくな競争しゃかいであり、実力しゅぎである、せんごくじだいであった」というてんを、ムシすることはできない。ぜったいにできないはずである。
それに、ノブナガは、尾張の領主のコドモであった。だから、あるていどはゆうふくであり、たかいみぶんのうまれであった。もっといってしまえば、いっていのかずの家臣たちをもっていたのである。
もしもノブナガが、えどじだいや、むろまちじだいの中期にうまれていたり、あるいは、せんごくじだいであっても、ひでよしのように、まずしくて、ひくい階層にうまれていれば、あたりまえのことではあるのだが、あれだけのだいかつやくなど、できるわけなかったはずである。
司馬遼太郎は、たしか『国盗り物語』というさくひんのなかで、「もしもノブナガが、いっぱんじんとしてうまれていれば、ひどいイジメにあっただろう」という意味のことをしてきしていたが、これはおそらく、しんじつかとおもわれる。
つまりノブナガは、たしかに大天才ではあったのだが、じんかく・ひとがら・にんげんせいにおける、けってん・欠陥のおおさや、ほかのひとたちと、にんげんかんけいをこうちくするための、のうりょくのなさについてかんがえてみると、「尾張の領主のコドモとしてうまれた」というてんが、かれがだいかつをするための、じゅうような、それこそ、ひつようふかけつな要素だったかとおもわれる。
ノブナガほどの大天才といえども、「じぶんのうまれたじだい・かんきょうが、そのすぐれたさいのう・のうりょくを、いかすことができるものだった」というてんを、ムシすることはできそうにない。
つまり、「なんだかんだいっても、ノブナガは運がよかった」といえるのかもしれない。