ずいぶんTwitterからのアクセスが多いなと思って調べたら、なるほど。

 

こちら☛スレッド

 

で、一言二言。

 

スレッド内にある、「初学者用の体操」をやってみると、ほぼ間違いなく身体が軽くなると思う。

 

しかしながら、これは単なる一時的な軽さに過ぎない。胴体深部を一時的に活性化しただけ。これで終わりではない!!

 

問題は、この軽さを日常化(常態化)すること。

 

これが一番難しく、体操だけで通常かなり困難である。

 

そこで、「股関節で捉えた姿勢」で「日常」を過ごすことが必須となってくる。股関節で捉えた姿勢で、立つ、座る、歩く、である。

 

これを習慣づけないと、体操で得た軽さの常態化は不可能に近い。

 

なぜなら、日常が「捉えていない姿勢=重い」なので、せっかくの体操も焼け石に水だからである。

 

しかし、経験上、体操後に得られる軽さを日常化するにはかなりの継続的努力が必要となる。

 

身体が軽さを覚えるまでは相当時間がかかる。特にこれまで胴体深部が動いていなくガチガチの胴体であればあるほど。

 

ブログを読んでもらえれば分かるが、少なくとも体操後の軽さが日常化するのに自分は2年以上かかっている。

 

で、おそろしいことに、軽さが日常化したな~と思って体操するとさらに軽くなる

 

まぁ、これがいわゆる継続的進化なのだと思う。身体は絶えず変化していく。


 

繰り返すが、「いくら体操をして軽くしても、日常的に股関節の捉えがなければ身体は元に戻るだけ」

 

それから、「捉え」は技術習得のようでそうでない

 

一回捉えられてコツを掴めばそれでお終い、とはならない。

 

「捉え」は継続的に進化していくので、その過程で感覚がよく分からなくなることが度々ある。「捉えロス」に見舞われる。そんな時は北京原人姿勢に戻って、手刀チェック!

 

捉えにより胴体深部が進化しては身体が内部で再統合しているためだと考えられる。

 

つまり、「捉え」によって進化し、この進化に伴って「捉えそのもの」の感覚も鋭くなっていくし、感じ方も変化する。逆を言えば、変化がなければ進化はしていない

 

さらに言えば、例えばある程度「日常的に捉え」が身についても、自分の専門競技で「捉え」を維持できるかはまた別の話になってくる。これはスポーツ特有の体勢などが絡んでくるからである。どの体勢でも捉えを外さないように訓練する必要がある。

 

トレイルランのような必ずしも平らで均一な地面を走らない競技で絶えず捉えを外さないで走るのは相当な訓練が必要となる。

 

「捉えの精密さ」がかなり問われる。

 

少なくとも想像するに、「日常の歩きが無意識に捉えられている状態」は最低限必要となってくると思う。

 

これを体操のみ達成することはほぼ無理だと思う。

 

身体は付き合いが長い方を選ぶ傾向にある。それが悪癖であったならば、そいつと別れどんなこと言われても復縁しないと状態になるまで、新しいパートナーと一緒に居られるようになるには、それ相応の労力が必要となってくる。

 

始まりはいつも北京原人から。

進化は日常ですでに起きている。