今の感じはこんな感じ。

 

図1

(図:PKGJ)

 

大きい○が鳩尾で、中にAみたいな感じのがあってその延長線上にそれぞれ首・頭、肩・腕・手、股関節・脚・足がある。

 

図形の大きさや細線・太線は感覚の違い。大きい・太いは感覚がこちらの方が優位?強い?を表示。

 

つまり、末端優位であった感覚が胴体深部優位に神経回路が書き換えられてしまった。

 

それぞれこの中心に向かって重みを預ける。頭首は上から、肩腕手は肩、とくに肩甲骨を徹して預ける。股関節脚足は下らから預ける感じ。

 

つまり力が全て鳩尾に集約されている感じ。

 

上手くいっている時の感覚。

・Aの文字が潰れておらず伸び伸び鳩尾の中に収まっている。

・上記の3つの部分が鳩尾にその重み、制御を委ねられている。身体は鳩尾しかないのではないないかと思えるぐらい、全てを鳩尾に預けられている状態。繰り返すが、力が全て鳩尾に集約されている感じ。

・上下左右から重みがかかっているはずなのに?はずだから故?なのか、身体が浮いている感じがする。全方向の拮抗が保たれているからなのかな。厳密には鳩尾がだけが浮いている。図で言うところの○の部分だけ。

・鳩尾だけで立っている感じがする。鳩尾だけで身体が支えられている感じである。

 

ただちょっと何故か勇気がいる(笑) 預ける勇気である。しかし、勇気を出して預けると、力・重みが鳩尾に集約されるため四肢・首頭は一気に脱力される。しかし姿勢は崩れない。

 

もう少し違う言い方をするなら、「こんなに力を抜いていいのか?」「こんなに全てを預けていいのかな?」といったぐらいの脱力に襲われる。でもでも姿勢は崩れない。

 

だか預けて良いんだと思う(笑)。

むしろ預けられていない・預けるのが怖いといった感覚が力みを生んでいるのだと思う。

 

それからこんなにも末端で頑張っていたのだとも思う。普段の姿勢、立ち、座り、歩きともにいかに末端を酷使していたか。胴体深部からちょっと力を供給してもらえればできたものを、何故やらなかったのか。いかに普段から勝手に力んでいたかが分かる。

 

やはり「胴体と連動して初めて(末端の)脱力は達成される」。

 

一連の体操をこの感覚でやると体操後の身体の緩みが全然違う。

 

つまり体操のやり方の質が向上したことになる。

 

やはり「体操をするときの基本姿勢はかなり大事」。

 

それから首・頭が抜けてきたことで、肩周り、特に背中周りの緩みがもの凄い。

 

首・頭の抜けはまだまだなのに初期でこんなだとすると、洗練されたらどうなるのか。う~ん、楽しみである。

 

今後はあらゆる動作を鳩尾に預けたまま、脱力したまま行えるかが課題。