以下の西園美彌さんの記事に書かれている分析眼は、おそらく何回かメモしている「眉間の眼」のことだと思う。
いわゆる、「観の目」というもの。
(ちなみに巷で「観の目」は「周辺視野」だという説明があるが、違うと思う。なぜなら「観の目」でも「凝視」できるから。これは「見の眼」の「凝視」とは違う。「観の目」は「中心・周辺視野」を含むまた別物。眼の根源と言ってもいいかもしれない。観の目が開眼すればすぐに分かる。つまり、開眼しない限り分からないとも思う。)
このような胴体深部が動く住人でさらに現役でさらに指導している方の文章であるので、是非、拡散され多くの方が読むべきもである。
西園さんはご自身の経験から、この眼を身に付けるのに大事な2つの事柄を挙げている。
引用させてもらうと、
①「自分の身体と向き合うこと」=「自分の身体を通して学ぶこと、豊かな感覚を自分自身が養っておくことで「目」は発達する」。
②「そして「美しいもの」「本物」「圧倒的なもの」を間近でたくさん見る事こと。」
とある。わざわざ赤字で強調されている。
意図してこの順番で書かれているかは分からないが、①が最も重要であり、①があって②の意味が出てくる。
つまり①で眉間の眼を開眼させてから、この眉間の眼を通して②をしないと眼は成長しない。
残念ながら、ほとんどの人は①をせずに②だけをしているので、そりゃ本質は分からないのは当たり前である。西園さんの記事を読んだ方は手軽にできそうな②をやると思うのだが、まず①を最優先で取り組まないと効果はほぼゼロになってしまう。
自分はまだ眉間の眼での生活が浅いので、西園さんの眼から比べればまだまだであるが、①がクリアされて、眉間の眼が日常化されてくると本当に観え方が変わってくる。
あくまで個人的だが、1つは動きがスローに観えてくる。つまり流動的であるはずの動きに境目や区切りのようなものが観えてくる。別に意識はしていない。本当に不思議だ。
そして何となく身体をどうしたら動くのかが観えてくる。たまたま知り合いの人が運動をしていて、長座前屈をしていた。自分もようやく腰が乗るぐらいの固さなのだが、それにしても硬い。なので、その人の手を取って、引っ張ってあげた。そしたらグーンと曲がる。何をしたかというと、手を取って引っ張った時に何となくこの辺をこうちょっと捻ってこんな感じで伸ばせば伸びるのではないかとおもって、そういうふうにしてみた。それから、背中も固かったので、後ろから筋肉の線?と思われるところに軽く触って刺激を与えて押してあげた。これまた効果がでた。鳩尾も固かったから、この辺から肋骨をせり上げて~、腰は反り過ぎてはダメ~、下っ腹を軽く凹まして、ハイ、丸めて―なんて数回、手をそえてやってあげたら、あらまたまたグーンと曲がった。周りで見ていた人が驚いていた。何で?と聞かれたが、「良く分からないんだけど、なんか分かるんだよね」ってしか答えられなかった。だって、理屈はあるのだろうけど、自分は門外漢だから。
それから、この人に、「専門トレーナーをチームで雇っているのだけど、こんなにはならないんだけど。本も出している人だよ。」、と言われ、「何も言えない」とだけ答えた。だって、自分は門外漢だから。
これは視覚だけでなく、現在は聴覚にも影響を与え始めている。音の区切りが「観え」るのだ。これまた本当に不思議だ。
まだあと3つの感覚があるので、そのうち発揮されるだろう。料理を日常的にするので、味覚に影響が出てきたら嬉しい。
知識や勉強は必要なのだが、ただ知識を入れてアウトプットすればいいというものでないような気がすると、眉間の眼が日常化してからそれをすごく感じる。
動きだけでなく、知識や勉強、つまり文字情報(絵や図や数式なども含め)も眉間の眼を通して行ったら、さらに違うものになるのであろう。
これは実は伊藤昇氏も自身の著書で軽ーく触れているのだが(1行ぐらい)、少しづつ実感してきており、これからの自分の検証項目でもある。、
まぁ、実はこれは北京原人生活を始めたきっかけの1つでもあるのだが(不定愁訴の解消がもう一つのメインの理由)。
だって、身体が知的活動に影響を与えるって興味深すぎる。職種がこちら側なので尚更。
これを検証できるだけの胴体(+余裕)がこれまではなかった。故に、これから。
仮説:「胴体深部が動くことは知的活動にも影響を与える」
さて、のらりくらりと検証スタート!