ちょいとぼやくことにする。
「人間には物事を認識するためには何かと比較して、その違いに「気づく」ことが必要であるという。“間違い探し”を例にとってみれば、はじめは全く同じ絵であるように見えていた二つの絵が、違いに「気づいた」ときから違う絵であると認識できるようになる。答えが分かってしまえば、それまで同じ絵にしか見えなかったこと自体、信じられないと思う程だ。 ・・・違いに「気づく」ことはそれほどに劇的な変化をもたらすということなのである。胴体力のある動きと、胴体力のない末端だけの動きの違いとは、見た目が同じように見えるが、違いに「気づく」ことができれば、それは全く違うものであると分かるようになるはずだ。」
(『伊藤式胴体トレーニング 胴体力入門』 33頁より引用)
これを実感することになるとは。
自分もかつては動かない住人であった。
動く住人になってから(この世界ではまだまだであるが)、驚くべき現状を目の当たりにしている。
動く世界の崖っぷちにいるわけだが、動かない世界へ戻ってしまった時に思い出せるようにメモしておく。
動かない住人は、動く住人の言葉・状態・動きは理解及び実践することはほぼ不可能である。
・骨盤を立てる
・仙骨を締める
・股関節を使う、股関節で捉える
・鳩尾から脚
・上半身を使う
・脱力
・力まない
・体幹を使う
・姿勢を良くする
・動きが美しい
・動きに力感がない
・尻を使う
・大腰筋を使う
・内転筋を使う
・深層筋を使う
・連動させる
・細分化する
・軸を立てる、作る
・足裏の重心
・重心が動く感覚、移動させる感覚
・その他、多数
これらの言葉は、胴体が動く人の内部感覚を、あえて言語化するなら、こういった表現になるだけのことである。
言語があって内部感覚があるのではなく、感覚があってそれを言語というフィルターを通して言葉にしているだけである。
胴体が動かない住人は、何故か言語解釈に労力を費やす。理解できないのは知識不足と思い、本を買い込み勉強をする。セミナーに行く。知識は増えるが胴体は動かない。もちろん、知識をいれることは大賛成である。
胴体が動く人の動きを観察する。しかし、「すごい」以外分からない。例えば、サッカーのメッシをいくら眺めても本質は理解できない。メッシの身体や動き・姿勢は胴体深部から動いているので当然であって、不思議でも驚きでもない。ど素人が偉そうと思われるかもしれないが、胴体が動く住人になるとそう思うようになる。メッシがスゴイのは、この胴体深部の動きをサッカーという競技で応用して、発揮して、洗練されているということ。
残酷なのは、その勉強している本の執筆者、またはセミナーの主催者は多くの場合胴体が動かない住人の一人であるということ。つまり、胴体が動かない住人同士でいくら議論や考えを共有したところで、それらはあくまで胴体が動かない世界の範囲内であるため、答えが出ない。
胴体が動かない人が提唱している理論は、あくまで胴体が動かない世界の話である。その枠を飛び出ることほぼない。
日本のサッカーが進歩しない原因の1つでもあるように思う。胴体が動かない世界でサッカーをしている。トレーナーも選手も誰も気づかない、いや気づけない。気づいてもどうしたらよいか分からない。胴体が動いていないから。O脚猫背は動いていない証。
対照的に、欧米のサッカーは、胴体が動く世界でサッカーをしている。面白いわけである。
日本が勝てないわけである。別世界だから。
では、胴体が動く人が書いた本を読めばどうだろうか。これは武術関係に多いと思うが、これらの本を胴体が動かない人が読んでもほぼ理解不能。動く人・動かない人は、たとえ同じ日本語を話しても、その発した言葉の解釈は本質の部分で異なる。この差は、地球人と宇宙人が会話できないのと同じぐらいである。住んでいる世界が違い過ぎる。文字通り異次元である。
『スーパーボディを読む』という本がある。これは、胴体が動く住人にならないとまず理解不能。もちろん自分は全てを理解しているわけではないが、動く住人になってから読むとまったく別の本になる。
胴体が動く世界の独特の行間というものがあって、これを胴体が動かないと読み取れない(感じ取れない)。読解できないのは、読解力・知識不足ではなく、単に「胴体の力」不足なのである。胴体が動くと読解力が増すという、胴体が動かない住人には理解しがたい現象が実際に起こる。
胴体が動く人の理論は、胴体が動かない人には扱えない。だから、胴体が動かない人の方が理論を複数組み合わせて補填しようとする。
理論を組み合わせている人ほど、胴体が動いていないように思う。胴体が動かないから、理論を組み合わせるしかないともいえる。
スッキリという番組で、出演者が冗談交じりで、
「ダイエットに失敗している人ほど、ダイエットの知識だけは多い」と言っていた。
「胴体を動かしていない・動かない人ほど、胴体の知識だけは多い」かもしれん。自分もこうならないように気を付けなければならない。
おそろしいほどさらに残酷なのは、上記に列挙した言葉や表現をトレーナーや専門家が本来は動かない住人に教えるはずなのに、トレーナー自身が動かない住人であるため教えられない、橋渡しができていないという現状である。全部とは言わないが多数を占めるのではないか。
胴体が動かないと、基本中の基本である「立ち方」すら教えることは不可能に近いと思う。
動かない住人は、おそらく解剖学や骨格を勉強し、骨格上正しい位置はこうで外見がこうなるから、重心がこうなるから、そのように姿勢を正して立つように指導するだろう。
結果的には間違いではないと思うが、大事な点が欠けている。
「胴体深部が動かないと、いわゆる正しい立ち方はできない」ことである。だから、ただ外見をなぞって姿勢を作ったところで、その姿勢は見せかけの姿勢でしかない(整体などでしっかりと矯正した姿勢は除く。これも一時的という意味では、見せかけの姿勢にかわりはないが、常態化する責任は、整体師ではなく施術を受けた本人である)。
胴体が動く住人の姿勢が良く「見える」のは、胴体が文字通り動いている住人だからである。
胴体が動く住人の姿勢は、胴体深部によって導かれた姿勢、といってもいいかもしれない。
言語化や教える方法論、トレーニングの仕方は、まず胴体が動く住人になってから取り組めばいいように思う。言語化して理解しないと胴体が動かないということはない。むしろ、逆で言語化しなくても胴体は動く。言語化・言語解釈はまず置いておいて、胴体解釈を胴体でした方がよい。
胴体が動くことに、専門知識も資格もいらない。「胴体が動くこと」の下に、職業・年齢・性別は一切関係ない。この結論が世間には広く知られていない。これは胴体が動かない住人の専門家が多数であるからだと思う。
もちろん、胴体を動かすきっかけとして、胴体が動く人の本を読んだり、胴体が動く人のネットをみたり、胴体が動く人主催のセミナーに参加することはいいと思う。それから、解剖学や生理学などの知識を入れるのも良いと思う。
しかし、実際に自分の胴体を動かさない限りは、胴体は動かない。
それから、当たり前の事実をついつい忘れてしまう。人はほぼ全員(先天的後天的障害が無い限りにおいて)、胴体が動く住人であったということ。子供の頃はそうであった。その頃、解剖学や科学の知識はなかったはずである。しかし動いていた。
理屈から言えば、みんな胴体が動く住人になれるということなのである。
大人になるにつれ、何が原因かは分からないが、胴体が動かなくなった。それだけである。
妄想ぼやきでした。