台湾には日本統治時代の遺構がたくさんあるので、何気に街角で出会うことも少なくないですね。
そういった何気ない”出会い”に惹かれることが多い台湾旅行。
今回、羅東に行きたかった理由の一つが、この”寒溪神社遺構”でした
羅東に着いた翌朝、寒溪村に向かいました。
グーグルマップで経路検索し、最寄りのバス停”中山公園(羅東観光夜市)”から
出発です。
ここ、寒溪村行きの表示無しでした
でも、ちゃんとグーグルマップ検索通りの時間でバスが来ました!

朝9:30頃だったけど乗客は4,5人で、バス停停らずに快速状態、寒溪村に20分くらいで着きました。
終着点で降りると、すぐ寒溪神社の案内表示発見!

矢印の通り歩いていくと、寒溪神社遺跡の説明表示

参詣歩道も整備されていて歩きやすい
この歩道は、集落を繋ぐ歩道のようですね。

右側の建物は寒溪国民小学の建物 小学の裏の小道を上がっていきます

右手に神社の遺構が見えます。

本殿はないですが、正面はこんな感じ

寒溪神社創建からの歴史など解説銘版

寒溪村のどこからでも見える”寒溪吊橋”はシンボル的なものです
寒溪村はタイヤル族の人たちの村で、吊橋だけでなく建物、壁、柵、表示、様々なところに格子模様がデザインされていて、台北近郊の烏来で見たデザインと同じです
この吊橋は、羅東溪の対岸を繋いでいますが歩いて渡る人はほぼいないですね

自分は、せっかくなので対岸まで歩いて見ましたけど、
対岸には、この観光案内板以外何もないので、、、また、歩いて戻ってきました

寒溪村は観光地化されていない(観光地ではない)ので普段の台湾の田舎と言う感じですね。
自分にとって、この”空気を感じる”、”風を感じる”というのが凄く好きなので、、、
次の機会は、台湾東部、花蓮や臺東の海辺に行って見たいと思いますが、いつになることやら、、、
今回の台湾、羅東・宜蘭の”旅報告”は以上で終了です。
ではでは、、、