大学のころから「社会人になったら・・・」という文言を聞くようになりました。どうやらこれは礼儀や作法、ビジネスシーンで使われるだけでなく、いわゆる「大人」としての心構えのようなものも包摂した幅広い概念であるようなのです。
私はこの「社会人」という概念が嫌いです。今回は少しまとめてみようと思います。
そもそも「社会人」の指す意味が排他的で主観的です。そして都合がよく便利な言葉でもあります。
多様性社会の今、正直な話どんな人であっても「社会」に生きる「人」という意味で社会人に当てはまります。人種信条性別に関係なく、公共の福祉に反しない限りは自由で会っていいと思っています。このキモは「公共の福祉」という点です。社会人という概念を好んで使う人々は、自分自身を「公共もしくは社会」と捉えている節があります※個人の感想です。
つまり、自分の価値観にそぐわない部分を否定しているように見えます。自分の思う社会では通用しない相手に対して「君は社会では通用しない」「社会人としてふさわしくない」という発言をするのです。また、自分もそうされてきたから同じように後輩にするようになるのです。
また、「社会人」という言葉を用いる方は主語が社会人だったりします。「私は○○」ではなく「社会人では○○」になります。あたかも社会人という生き物がしゃべっているようで気味が悪いのです。
今回、2か月仕事を休みました。しかも二回目です。恐らく、快く思わない方もいたことでしょう。そういった方々を無駄に敵に回さないために、今回はお菓子を差し入れることにしました。
前回は多くの方が笑顔で、言葉での謝罪を受け入れてくださいました。しかしそうでない方がいたのも事実です。
「体調を崩し休むことで、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という体を示すことで少しでも職場に居やすくなるのであれば、そこは意地を張らなくて良い部分かなぁと思っています。また一つ、大人の階段を上りました。