学生のころから、それなりに、専門職とは何かを考えながら学んでいました。それは就職してからも変わらず、その場面に応じた専門性とは何かを感じながら仕事をしてきました。障害者支援施設での仕事はソーシャルワーカーのいわゆる相談援助の技法は目立ちません。むしろ傾聴、受容といった姿勢やアセスメントの技法、意思決定支援などが重要視されるかと思います。
実際の現場には、専門職としての理想とは程遠い支援が溢れていました。経営的な理由での職員数の不足、それに伴う日課の削減などなど。挙げればきりがありませんが、施設で暮らすという特殊な環境下で生まれてしまう、理想とは程遠い生活支援がありました。それはまだいいのです。それよりも、職員の資質による支援の在り方の違いに私は敏感でした。
虐待の現場に遭遇したり、心無い言葉を聞いたり、自分が良いと思う支援を通そうとしたり。協調性のなさと職員同士の感覚をすり合わせる時間もない現場に擦り切れていたように思います。それでも自分の担当利用者だけは、意思が尊重された支援ができるようにしよう。様々な職員がいる中で、何とか支援の意味と手順を統一させようと努力しました。詳しくは書きませんが、場面としてはすごく限定的で、手順がずれても大きな影響はないものです。しかしその場面でその利用者は明確な意思表示ができるのです。その意思表示を最大限くみ取るために、手順書を作り、意義を語り、全体に周知しました。
2か月の休みを経て、その努力は何も残っていませんでした。なんというか、そこで心が折れた気がします。実際の社会にはもっと乱暴で、理不尽な人々が多いのだろうと思います。その中で自らの意思を通そうとするには力がいるのだと思います。新卒で入った初年度は今よりもっと曲者が多い職場でした。その中で自分の意見を通すために、記録とデータを用いて主張しました。その時は納得してもらえたのですが、結果はついてきませんでした。今回、私は「一朝一夕では変わらないことがある」ことを知ったように思います。人は簡単には変わらないし、自分の意見にうなずいてくれる人ばかりではない。その世界でどう生きていきたいか、を考えました。
しばらく、ソーシャルワーカーとしての自分はお休みしようと思います。正直言って疲れました。もうお腹がいっぱいです。ほどほどの仕事をしてほどほどの給料をもらう人生の方がいいかもしれません。
ただきっと、いつの日か、プロとしてあろうとする自分が出てくるのだろうと感じています。