端的にいうと、私は幼少時に性被害にあった。
その被害にケアがされなかったために、心の傷が出血したまま、ぐじぐじと痛み、
化膿して、数十年して、膿が出てしまった。
典型的なPTSDである。

心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Posttraumatic stress disorder:PTSD)は、危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。(ウィキペディアより)
この診断ともう一つ、人格解離が起こり、私はカウンセラーに病院送りを宣告された。

以下閲覧注意です。似たような経験がある方はフラッシュバックに注意してください。
誰にでもあるかもしれない忘れ去りたい過去。
心の痛み、その痛みが痛みだとわかるまで、数十年かかることがあった。
天災のように降りかかった悪夢の時間。
それはまだ10歳に満たないときの出来事。
父の職場の旅行に一泊で出掛けた。
母や兄弟はその日に限ってこなかった。
たくさんの大人の中、数人の子どもも混じっている。
割と人見知りだった私は、子ども達と打ち解けるよりは、父の後についていった。
宴会の場で大声で話しかけてくるおじさんがいた。
妙に明るく幼心に「変わった人」と思った。
「芸能人の○○に似ていてかわいい!」などといった具合だ。
引きつり笑いになった。
夜になり、私は眠くなったのかあまり記憶がない。
ふと目を覚ますと、天井。
左に違和感がある。
誰かが私の服を触っている。
右に父親の背中がみえる。
左から手が伸びていて、私のパジャマを脱がせようとする。
「誰だ?」
抵抗しても抵抗しても。
「くすくす」ニヤニヤ笑っている。
みると、さっきのおじさんだ。
「たすけて!!!!!!!お父さん!!!!起きて!!!」
何度か声をふりしぼってみるが、声は出ず、父は起きない。
「くすくす、お父さんを呼んでいるの?」ニヤニヤ。
サーっと全身から血の気が引いた。
なんとか身の危険を避けるためにトイレに逃げ込んだ。
どうやら、職員や家族は各部屋に別れて寝ている。
私は父と二人、そのおじさんと三人での相部屋に配置されたようだ。
よりによって、父、私、おじさんの順番で布団に寝ていた。
北国の雪のロッジ。
ストーブのないトイレの寒さは底冷え、留まるのは限界があった。
「どうしよう・・・こわいよ・・・」ひとりつぶやくが時間が一向に過ぎない。
慣れない旅行、はじめての危機、その危機の意味も理解できなかった。
声が出ない。誰に救いを求めていいのかわからない。
静か過ぎる冬のロッジ。
寒さに堪えきれずトイレから戻ると、父の肩を揺らすが、一向に寝ている。
その一部始終をくすくすと、にやにやと笑っているおじさん。
どうしてそうしたのか。
私は自分の布団にまた戻ってしまった。
そこから地獄が始まった。
・・・・
それ以降記憶がない。
思い出そうとすると頭が痛い。
翌日、私はレジャーには参加せず、父に「どうした?」と聞かれたが何も答えられなかった。「いやだ」とぽつりと言った。それ以降口を開けなかった。
気がつくと、自宅の部屋にいた。
うつむいて、正座をしている。
畳にひいたゴザの上。
夕暮れどき、母が「どうしたの?」と声を掛けにきた。
答えられなかった。
母は部屋を去った。
・・・・
また記憶がない。
・・・・
この出来事を何度か友人や恋人に打ち明けたことがあった。
が、あまり真剣に受け止めてもらえなかった。
時代だったのだろうか。
志村けんの「変なおじさん」ブーム、学校や界隈には「露出狂」や「お菓子をたべないか?」と小学生に話しかけてくる人、不審者が多くなっていた。
恐怖のあまり私は、自分もその手の被害にあったことをねじ伏せ、心の底にしまった。
でもそれは、酷い形でぶりかえってしまった。
27歳になったばかりの、もうすぐ春が訪れる季節だった。
あの夜から16年が経っていた。

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