今日はめっちゃ暖かかったなぁ
コート無しで自転車に乗っても風が気持ちいい。
思い切り息を吸い込みたいところだけれど…花粉やPM2.5のことを思うと吸えず
でもホント気持ちよかったなぁ
何をこだわってたんだろうなぁ。
なんでそこばかり目がいってたんだろうか。
ふとそういう力が抜けた時、とても楽になった気がした。
こういう経験は今までも幾度もあった。
学習してないなぁと自分に呆れるけど、その度ごとに立ちはだかる壁が違うからしゃーないのよ
友達と遊びたい
それは息子の素直な思い。
でも息子のそれは、周りのペース…特定の友達ともだと仲良くなりたい、とは違うもので、その前段階の『みんなと遊んで楽しい』という思いがようやく開いたものだと思う。
その周りとのズレは仕方ない
ズレ…というのも何かピンとこない表現だけど、たとえ周りとそこが合ってなくてもいいのよ。
発達段階の違いってことだろうな。
いいのよって、初めから分かってたのにね。
6年生になり、友達との関係が上手くいってた(=関係性の中身は分からないけど、息子自身は楽しく過ごしていた)から、それが冬頃になると色々な問題が出てきた。
人と関わると問題が生じるのは自然なことだと思っているし、それを私がしゃしゃり出て「避けて通りましょ」というのは違う気がする。例外はもちろんあるけど。
こうして話しかけたらいいよ
相手の話があまり興味がなくてもそこに交ざりたいと思うなら、相槌打つとかさ
…などと、色んなアドバイスをしていた。
アドバイスのつもりだったけど、そこには「うまくいってほしいなぁ」という焦りのようなものもあったと思う
息子が求めているものと、私や担任の先生が求めているものは違ったのだろう。
さっきも書いたけど、違ってたのも分かっていた。
息子が話したよ、遊んだよ、楽しかったよと言うと、良かったねぇとそのまま受け取っていた。
でもブレブレの私は、そっちよりも周りの声の方に影響されてしまい(周りは悪くない)、息子のペースよりも「もっともっと❗️」と背中をグイグイ押してしまっていたと思う。
でも、この間担任と話をした時、「僕は息子くんに褒めることをしていなかったと思います。声をかけれた、中に入れたことをまず褒めていきたいと思います。今まではもっとこうした方がいいよと息子くんに進言していたら方針がブレてしまっているようで申し訳ないのですが。」と言っていた。
息子も息子なりに動こうと頑張っていること、周りから見たら「その状況は本当に楽しいの?」と思っても、本人がそれでホントにいいのなら、無理強いするよりも周りと少しでも関わり易くできるように(先生も)動いてみます、とのことだった。「友達と話して楽しかったよ」と息子が言っていても、「僕から見たら楽しそうに見えなかった。周りと溶け込めていない」と言う先生の言葉に、焦りに似た気持ちがあったと思う。
書くと長くなるので省略するけれど、先生のその言葉でもう充分だった。
私の「もっともっと!」という気持ちもスーーッと消えていった。同時に、「息子と周りとの気持ちや発達段階の違い」を思い出せた。
息子は息子で、今の状況が良ければそれでいいじゃない
息子の言葉をまず信じよう、というかそのまま素直に受け止めよう
息子は相手と話したければ、関わりたければ自分から入っていくだろう。
マイペースでいいよ、息子は息子だから、なんて話しながら、私が1番自らのペースを乱している。
軸は変わらないし消えてもないけれど…ドシッと出来ないのはまだまだ修行が足らないな
興味がない話でも、その子を知りたいから聴いてみよう…という気持ちが芽生えるのは、少しだけ先のことかなと思うけど、そう遠い日でもないかなとも思う。
友達と関わりたいという思いが芽生えたのなら、息子のペースで進んでいったらいいのよ、大丈夫よ、とそっと背中を押したいな、と改めて思った。
今更な『改めて』だけど、何度も何度もぐらつくけれど、それでも前を向くのだ✊
最近は前よりもっと文章をまとめたり言いたいことがアウトプット出来ないなと実感している
だから余計長々と書いてしまっているんだけれど。その時々の思いを書き留めたくて
明日が祝日だからなのか、水曜発売のものが今日手元に
早速スマホに【Luv Bias 〜another〜】を入れた
通常のも好きだけど、anotherはもっと好き
みんなが寝たら、メイキングを観ようっと