例えば行こうとしている道にワニがいるとして…


①知らずにワニと遭遇して喰われる人


②知ってるけどこの道しかないから怖いけど行く人


③あの人ワニ怖いんだ〜って、言われたくないから行く人


④新しい道作る人


⑤知らずに行ったけどワニに偶然会わなかった人(笑)


④の新しいく道を作る人でありたいけど

⑤もアリだな


今年の誕生日は

どうしたことか

たくさんの人にお祝いしてもらって

自分でもちょっと

戸惑うくらい😅


ありがたいな〜✨✨


と思いながらも

みんなの誕生日覚えれんし

お返しちゃんとできるような

几帳面な性格でもないし…


ちょっと焦る😅


めっちゃ嬉しいし

めっちゃ幸せだな〜って

感じる。


そんで、何で急に

こんなにお祝いしてもらえたんだろ…

って考えてみた。


私はみんなに

誕生日もなにもしてあげてないのに

なんでこんなに急に

みんなやってくれるんだろ〜💦💦


でも考えてみたら

前からお店に来てくれる

素敵な仲間たちだったけど

どこかで私が

バリア張ってて

ここから先は入ってこないで!って

お客さんと店の人の関係で

居たいと思ってたのかも。


去年長期休業して

その後娘が手伝ってくれるようになって、

それまではひとりで

色んな事を無理してちゃんとしようと

頑張りすぎてた自分が居たんだな…って

気づいた。


一人じゃなくなった分

色んな事が出来るようになったし

余裕もできた。


お店やるのが

楽しいなって思えるようになった。


そしたら

たくさんの人が

集まってくれるようになった。


ものすごく

いい循環が起きてるな〜✨✨


ずっとこのままでもなく

またいろんな人が

くっついたり はなれたりしながら

形を変えながら

自然体で心地よく

居られたらいいな〜💕


みんなありがとう💕


うちの父方のおじいちゃんは

私が中学生の時に亡くなったんだけど

小学校の時に一回だけ

私の通う小学校に来て

被爆体験を語ってくれた事がある。


それは父も聞いたことが無い話だったそう。


おじいちゃんは昭和元年生まれで

昭和20年は20歳。

誰よりも正義感が強くて

きっと誰よりもお国のために…と

考える性格だったけど

2歳の時小児麻痺で片脚が義足だった為

兵隊に行けなかった。

とっても悔しくて

とっても恥ずかしくて

悲しかったと言っていた。


おじいちゃんのお父さんは

早くに病気で亡くなっていたので

家業のお店を継いで一家の長として

3人の弟たちを養っていたそうです。


8/6の朝

大林の自宅から

二中(観音高校)に通う弟が

自転車がパンクしているから

学校に行きたくないと

珍しいことを言ったらしい。

ものすごく出来のいい

優秀ないい子だったのに…。


おじいちゃんは自転車を修理して

弟を学校に送り出した。

その時もなかなか自転車は

直らなかったらしい。


その後おじいちゃんも勤労奉仕で

亀山の方の工場で働くため家を出た。


そして8:15。


可部の方にも大きな音と地響き

キノコ雲が見えたらしい。

広ガスのタンクが爆発したんじゃろう…

とか皆憶測で色んな事を言っていたらしい。

それよりも、その直後に落下傘が

落ちてきたらしく

可部のあたりは時限爆弾かもしれない!

とそこら中で通行止めになったり

防空壕に逃げ込んだり

大騒動だったらしい。


しばらくしたら

被爆した人たちがたくさん可部の方にも

辿り着いてきて

その人たちの話では広島は大変な事だと言う。


慌てて弟を探しに自転車で

広島市内まで行ったそうだ。


日が暮れるまで探したけど見つからず

明日もう一度行こうと言って

暗くなって大林の自宅に帰った。


すると夜遅く

自宅の扉を叩く音が。

そこには誰かわからないほど

焼け焦げた弟が帰ってきていたそうです。


みんなで仏間に寝かせて

寝ずに火傷の手当など

看病したけど

8/7の朝

息を引き取ったそうです。


おじいちゃんは

自転車を直して送り出した事を

本当に後悔していると

言っていました。


ワガママなんて言うような子じゃなくて

本当に頭も良く

いい子だったのに…と。



たくさんの被爆体験を聴いたり読んだりしてきたけど、あの日偶然学校を休んだり、偶然具合が悪くなったり、偶然広島に行かなかったって話は結構ある。


人には感じるチカラってあるんだな…と本当に思う。


おじいちゃんも入市被爆しているので

父は被爆2世

私は3世なんだけど

元気にこの広島に

暮らせている事に本当に

感謝。


そしておじいちゃん達が経験した

悲惨な時代を

2度と繰り返さないように

ちゃんと自分の目で肌で感じたことを

大事に生きていきたいなと思う。


そして、子どもたちにも

ちゃんと

伝えて行かないといけないなと

思う。



3月に入ってものすごく忙しくて

ドタバタでまともに晩御飯作れない💦

どっかでそのことに罪悪感があったりする😅

諦めては居るけど

まだどっかで

こだわってる部分があるのは

認識してる。


そんな中

一昨日イベントがあり

旦那と娘にも手伝ってもらった。

到底一人では無理な仕事なのに

私一人で勝手に引き受けて

勝手に手伝わす

まぁ、勝手な私😅


そんでもって

無事家族のサポートがあって

イベントは終了。


激烈疲れて

帰ってから倒れる様に寝る💦

もちろんご飯も作らず

家事も全部放ったらかし。


ホットプレートやら

鍋やら

台所に山積み。


それでも

外食はするのに

家事何もしない私。


次の日も旦那が帰ったときも

お昼寝という名の

長ーい睡眠の最中で

しかも目覚めても強烈な頭痛で

何もできず…😓


でも仕事から帰ってきた旦那が

淡々と洗い物を片付けて

みんなの分も出前を取って

晩御飯済ませてくれてた。


やってやった!とかも無く。

頭痛いの治った?って。

ご飯残してあるよだって。


いつからこんな優しくなった?


幸せすぎて

驚いた(笑)


昔の自分は

そうやって家事もせずゴロゴロするなんて

許されない事だと思ってた。

旦那も許してくれないと思ってた。

最低限の事をして

やりたい事をやるもんだと思ってた。

旦那に家事をやらすなんて

主婦失格だとか思ってた。


でもそーゆーの

全部捨てて

そんな自分を許して


それから旦那を信じて

委ねたら

なんかうまく行くようになった。


自分がして欲しいこと

こんな事をしたら自分は疲れるとか

そーゆー事も伝えるようにした。


もちろん

やってくれなくても

怒ったりしないよ。

あたり前じゃないから。

やってくれた時には

最高に感謝する事も忘れないように。


お互いの

こうであるべきって思い込みが

すれ違いを生む。


ひとりひとり

みんな違うから

当たり前なんて無いし

言わなくても

わかってもらえるなんて

そんな事はない。


だけどちょっとした

考え方の改革で

こんなにも

スムーズに生きれるようになった。


夫だから、妻だから

家族だから

わかってくれてるはず!


そんなのは無い。

そんなに簡単でもない。


だから自分を知ること。

相手に自分を伝えること。


それから相手を知ること。

自分との違いを知ること。


それが大事な気がする。



最近いろんな人がやって来ては

いろんな話をして

エネルギーチャージできたー!

ありがとう!

って言って帰っていく。


私の説教みたいな話をきいて

テキトーに降ってきた料理をたべて

元気になったー!って。


ありがてぇことだなぁと思う。


人の話を黙って聞くのは

結構苦手な方だと思ってたけど

それでも話をしにきてくれる人が

おるんだな〜😅


でも、そんなふうに

なんかちょっとしんどくなった時とか

なんかモヤモヤした時とかに

かけ込めるような

そんな場所になってることが

ちょっとうれしい。


自分の方が全然うまく

生きれてない気がするけど💦


偉そうなことなんて

なんにも言えんけど

とりあえず偉そうに話しとる自分がおるよね〜😁


そんなことをみんなに語りながら

自分でも反省してみたり

気付くことがあったり…

結局、自分もエネルギーもらったりする。


ほんまにありがたいね。