私はおそらく子どもの頃ADHDだったと自覚しています。そのころはそういう病名がなかったので診断は受けてませんが。

 

3人の子どもの中で一番、衝動性や攻撃性が強かったぴーたに手を焼いていたころ、ADHDかもと思い、色々調べてその中で

私もADHDだったのかも、と思うようになりました。ADHDは遺伝することが多いということもあり。

私は行動面の衝動性が強く、教室で席に座ってられないどころか学校を脱走しては先生に迷惑をかけてました。

変なところを登ったり落ちたりしてケガや骨折はしょっちゅう。その割に、大縄跳びやエスカレーターなど歩調を合わせるものが本当に苦手で入っていけませんでした。他にもありすぎるので止めておきます笑い泣き

 

私は、大人になるにつれ、多少話が発散したり物をなくしやすい、という点以外は困り感がほとんどなくなったので、今はADHDではないと思っています。

 

ぴーたはADHDの診断はついてませんが、発達検査の数値やADHD傾向のチェックリスト、ADHDに多い関節の柔軟性、行動特性にはほぼほぼ当てはまっていました。

しかし、担当医の先生が慎重な方だったらしく

いくつかの薬を処方してはもらえましたが、診断は「書いてもそれで治るわけじゃないしねー」

という感じでした。

 

半年ほど通院したのち、ぴーたが「薬は嫌だ!病院も行かない!」と言い出したので通院中断し今に至ります。

その代わり、中学受験に親子で取り組んできた結果、周囲の人との信頼の構築や自己制御をできるようになり、ADHD傾向はほぼ落ち着いたかなと思います。

 

なんでこの話になったかというと先日久しぶりに帰省して私の親と話し、あー、ADHD傾向のルーツはここにあったんだなと改めて思ったからです。

 

私の母親は、よくしゃべる人で、顔を合わせてるとひたすら話し続けます。かなり話が発散する人で筋道立てて話すことができません。途中でどんどん違う話になるので、うちの子たちですらついていけません。

 

私はそんな母に18年育てられる間、基本父も仕事で家にいなかったので、ひたすら聞き役をしていました。

 

なので「あ、今話題Aから話題Bに飛んだな。しかも〇〇というキーワードから△さんという母の友人のことを思い浮かべて、そのお父さんが通っている□病院の話になったんだな」と、推測することができます。

でもこの「キーワード→△さん→△さんのお父さん→通院先の病院」の複数ステップの飛躍の、しかも会話に出てこない背景知識が必要な飛躍の経路をたどることは、よほど親しくないとできないと思います。

 

一事が万事こんな調子で話すので、これでよく定年まで働き続けていられたなと思うくらいです。実際、周囲の人から「あ、〇〇さんまた話が飛んだよ。それじゃわからんって笑い泣き」と突っ込まれて、母は「あら失礼しました」とさらっというのですが、また繰り返すのです。治りません。

 

それでも母には友達が多く、定年まで幸せそうに働き続けていました。

これはADHD傾向の人が幸せに生きるヒントになると私は実感してます。

 

つまり、

 

・本人は自分がADHD傾向であることに引け目を感じていない

・周囲は多少あきれることがあるが「そういう人なんだ」と認めている。むしろ面白がっている。

・本人は、面倒見が良い、人懐こい、相手をほめる、悪気がない、など基本的性質に愛すべき点がある

 

てところがポイントなんだと思います。

これを逆に考えると、

1.ADHD傾向に負い目がある。自分に劣等感がある

2.周囲がその人の特性を認めない、ダメ出しをする

3.本人の性格に人を惹きつけるところがない(ように見えてしまう)

のいずれかである場合には、本人がつらいだろうなーと思います。

 

3については、

いいところがあるのに1が強くて表に出せない、あるいは2が強くて、周囲がその人の良さを見出せていない、という意味です。

 

そうならないために、親としては、良いところをまずしっかり肯定して伸ばす

「好奇心が旺盛」「人懐こい」「面倒見が良い」「頭の回転が速い」「おしゃべりが上手」などですね。

その上でそれを売りにする方法を一緒に見出してあげる、ただし、その過程で他の人の性格を尊重することの重要性や、人には親切にすることも徹底して教える。

本人がADHDの衝動性や攻撃性で問題を起こした時には、生まれつき「癇癪の虫」が体の中にいて、それが爆発しちゃっただけなんだ、大人になるまでにそれを飼いならしていかないといけないよ、と本人のせいではなく「虫」のせいにすることで

本当はいい子なんだよ、と言い聞かせ続けることが必要なのかなと思います。

 

これができればADHD傾向の子が幸せに生きる土台を作ってあげられるのではないかなーと思いました。

 

長くなってすみません。

3世代ADHD傾向の真っただ中にいたおばちゃんの独り言でした。