今日は暇なので2件目の投稿です。
私の話とぴーたの自己肯定感の話を書いてみます。
長くなりましたのでお時間あるときにどうぞ。
ぴーたは多動衝動的でADHDの特徴をたくさん持っています
診断はついていませんが、母は人よりサポートが必要な子だと思っています。
発達特性がある人はたくさん叱られるので自己肯定感が低くなるそうです。
こちらの本でも、そのような話が多く出てきて、共感しまくりでした
私も保育園~中学まで多動、衝動的で
ぴーたの比じゃなく変わった行動をとっていて
先生に怒られまくってました。
(今思えばADHDだったのでしょう。
当時はそのような病名はなかったです)
私は
不器用で字はうまく書けないし、
病弱で小2くらいまで月の半分は園や学校に行けず
運動や外遊びが下手、すぐ負けるから友達は少ないし
感覚過敏で苦手な服や食べ物が多く、
服を脱いでしまったり食べ残したりして親や先生に怒られてました。
しかし、記憶力は割とあり3,4歳のころから読書ばかりしてたためか
おそらく世の中の仕組みが年の割にはわかってました。
だから、
意思に反して自分の体が勝手に動いてしまう、あるいは動かそうとしても動かないときがある
ことは、何か私の生まれつきのもので仕方ないことらしい、と自覚しており、
そのせいで先生や友達に疎まれてるのも仕方がないよねと納得してました。
4歳くらいのころ、いうこと聞かないと手をつねってくる園の先生がいましたが、そんなことしても私の体がうまく動かないのは仕方ないことなのになーと思ってたのをよく覚えてます。
こうして書いてみると重い、暗い話に見えるのですが
どうやら私の脳は「叱られるのが嫌だ、怖い、落ち込む」
と思う回路が欠落しているようで、あまり凹みませんでした。
あ、また怒られちゃった。やべ。みんな怒るの好きだなー、疲れないのかな?くらいの軽い感じでした。
毎日のように教室の隅で立たされたり、正座させられたりもしてたのですが
やったー時間ができたとばかりに読んだ本の内容に心を飛ばしてました。
今思うと暖簾に腕押しで相手するのが疲れる子だったと思います。
ちなみに成長とともに多動衝動性が収まり、羞恥心や失敗したらへこむことも人並みに覚えました。
私はそんな感じで自己肯定感はなぜか高かったのですが、
多動衝動的特性があっても感受性が通常だと
怒られたら自己肯定感が低くなりますよね。
ぴーたも落ち込むときもあります。
「ぼくなんでバカなんだろう。みんな一生懸命勉強してすらすらといてて
これじゃ僕とみんなの偏差値どんどん差が開いて行っちゃうよ。絶対受からないじゃん」
と珍しくしょんぼりしてました。
だから、
「あなたは問題に取りかかるのに
人より気力が必要で
問題を読み取るのも苦手かもしれないけど、
一度問題の意味が分かっちゃえばすぐ解けてるじゃない?
漢字覚えるのとか計算は速いじゃない?
問題を読み取るのが速くてもそういうところが苦手な人もいるよ。
皆すらすら解けてるように見えるけど
その人なりに、自分はここが苦手ってことが絶対あるんだよ。
大丈夫、毎日勉強してだんだん進歩してきてるから。
進歩の速さが間に合わなくて中学は受からないかもしれないけど、
高校受験の時に絶対に役に立つよ。
昨日の自分とだけ比べて、良くなってればいいんだよ。
大人になったらみんなで同じ試験受けることはないから
ぴーたが得意なことで仕事をしていけばいいんだよ」
というようなことを言ってみました。
すると
「そっかー。
そういえば、〇〇君は△が苦手って言ってた。
ぼくは人とか動物と仲良くするのは得意だから、やっぱり獣医向いてるな!」
と意気揚々と勉強し始めました。
ん-、ぴーたも結局は自己肯定感は高いほうかもしれない。
そんな会話をしてるうちに自分の過去の話を思い出し、長くなりました。お読みいただきありがとうございました。
明日は勉強合宿。
台風直撃で本当に缶詰めで勉強するしかなさそうですが、とにかく行ってきます。
勉強進捗:137/220時間