どうしても、ブログのタイトルのように

シアワセモードになれない…

 

だから、やっぱりタイトル変えました

(シアワセ時間のおすそ分けは、単なる私の願望であり

実際は「そうはいかない」といったネガティブは

どうしても、ぬぐいきれません…)

 

シアワセを追い求めても、

人生の大半はシアワセでもない状態が多い

 

シアワセと思うかフコウと思うかは、人それぞれだけど

私はネガティブ根っこが深く入り込んでいる人間なので、

単に幸せ時間を求めているだけで、実際は

シアワセと思える瞬間はそう多くない

 

シアワセより、いつでも死にたい、死ねる覚悟はできている

ジ〇〇は決してしないが、病院や検診に行かずにいて

健康でいる今でさえ、はやく病気になって死ねたらな

と思う

 

がんで闘病して生きようと頑張っている人には

とっても申し訳ない

 

ただ、私が神様を恨むとしたら、

好きなときに死なせてくれないということだろうか

 

徘徊し続け、無心でスポイトの水を飲んで

寝て、再び徘徊し続ける猫ちゃんは、

自分が生きているという実感さえ

忘れているのだろうか、

 

家族の顔もわからない彼を見て

これでシアワセなのだろうか、と思う

 

「ヴィラは、もうヴィラじゃない」

ダンナの声に、私は哀しくなった

 

夜、私たちの周りを徘徊し続けるヴィラを見て

ダンナは「うっとうしい、休まらない」と

いった

 

かなしかった

 

「人間のように介護施設があればなあ」

「人間の下に猫という感覚からして、今の

振り回されようは我慢できそうにない」

とまでいった

 

この人となぜ結婚したのかと思った

 

この間、ダンナは

「俺なんか捨て置かれるだろうな」

といった

 

冗談でいったようだが、叫びながら

いう旦那をみて、頭にきてドアをバンとしめた

 

また、哀しくなった

 

私たち夫婦はこれまでも、

何度も喧嘩して、折り合いを付けて

20年以上一緒にいる

 

ただし、シアワセと思うことは

実は少なかったかもしれない

 

私が適応障害を患い、仕事に行けなくなって

休んでいるときは、私の代わりに

職場に足を運んで上司を話してくれたダンナ

 

そのダンナは、根はやさしいと思うのだが、

実際は、私と彼は本当にどうなんだろうと思う

 

夫婦なんてこんなものか

性生活のズレもあったり、今はまったくない

 

こんな話をつらつらとしている自分が

ある意味滑稽であり、哀しすぎるのだが

 

息子と娘がいてくれたほうが、

気持ちがすごくリラックスするのかな

 

でも、二人のほうが気ままかな

 

それも判断がつかない

 

いずれにしても、徘徊し続ける猫ちゃんを見て

私も一緒に連れてってと思ってしまうほど

昨今の私は、壊れている

 

ただ、誰かに助けを求めるとか

そういうのはしないように、

 

医者に連れていくタイミングや

何をどうすべきか判断付けられない私は、

このまま、選択する怖さを

抱えつつ、また失敗しつつ、

生きながらえていくような気もする

 

人生って楽しいな、と思える

その瞬間をまた、味わってみたい

 

思えば生きてからいままで、

ホントの私は、いつも

哀しさを抱えているのかもしれない