こんにちは。

昨日も午前と午後のダブルワーク。

 

そのあと、友達と久しぶりに

呑みに行きました。

 

4時間。

ビールとつまみで

いろいろと。

 

自覚したのは、

溜まっているストレスが

ほんと、大きいってこと。

 

放してもスッキリしないものを

抱えながら、友達と歩いて

還りました。

 

夫、息子、娘、

義父母……。

 

仕事のストレスより、

家庭のストレスが大きい。

 

私は、家族、家庭にある

壁に対処するために

生まれてきたのかな、

と思えてきます。

 

ストレスだと思うと

余計にストレスになるので、

あまり深く分析しないことにしますが、

家庭を居場所として

大事にしたいからこそ、

そこへの関心が濃すぎて

軋轢や衝突を生んでしまうのだと

思います。

 

そのなかで、生きていくしかない、

今までも、これからも。

 

ただ、どうしても目に入ってくる

相手の顔や所作。

いやおうなしに耳に残る

相手からいわれた言葉。

 

それらに敏感になってしまうからこそ

苦しい、わが心。

 

どうしようもないけど、

なんとか、せき止める方法は

ないものかと考えてしまいます。

 

そこで友達からいわれたのが

「まずは視界に入れない」

ということ。

 

友だち「私さ、

娘と話す時、視線合わせないように

というか、合わせないよ」

 

”人の話を聞くときは

目を見て話しなさい”

 

と、ビジネスでも学校でも

言われることかもしれません。

 

しかし、ずっと、そうしてると

自分にとって良くない感情が

どうしても生まれてしまい、結果

ストレスの要因になってしまうとも

考えられます。

 

たまには、というか、

気が向かないときは、もう

「目を合わせない」

でもいいかもしれません。

 

一昨日、人間関係において

ときに衝突するのもいいかもしれない、

などと、ちょっと無責任なことを

書きました。

 

しかし、ずっと衝突してばかりだと

身がもちません。

 

不器用な私は、

一度は衝突しても

傷口をさらに広げるような

考え方に陥る場合があります。

 

だからこの際、

「何も見ない、何も聞かない、

何も言わない」

 

時間も必要なのかな、と

思いました。

 

くっちゃねくっちゃねしてる娘の顔が

どんどんパンパンになっていくのを見ては

(今朝、その顔が非常に大きく見えてショック)

自分の悩みにしてしまいそう……

ついつい見てしまって、

ついつい「太ったねえ」なんて

言わないように

今日から「いちいち見ない作戦」を

していこうと思います。

 

いやなことを思い出してしまいそうな時は、

好きなテトリスや散歩、読書などをして

私自身の悩みにしないように

していきま~す。

こんにちは。

 

今日は、昨日の良かった話をしようと思います。

 

娘と衝突するのはしょっちゅうですが、

アメブロでもお伝えしたように、

親子関係修了書を、今月、

自分で自分に授与したわけでして……。

 

ぶすっとした娘が家にいるのは

変わらぬ日常ーーそのなか、

(わが子ながら、私に似てw

可愛げのない娘だなあ)

と思ってはモヤモヤイライラの連続から

「もう、顔も見ないようにする」

なんてことを思い立ちました。


ひどい母親かもしれないけど、

そうしないと いけない、んです。

 

例えば 修了、としたほうが、

私も 娘も幸せに暮らせそうです。

モヤモヤイライラを、

シャットアウトというより、

バイバイ!と見送り、

「私は私に戻る」ことを

意識するようにしています。

 

こうなれたのも、ある意味

喧嘩したからこそ。

 

プチ事件のように、私の心を

ざわつかせた昨今がなければ、

子離れの道へと進めなかったと

思います。


そして、娘もまた、

その人生を自分なりに

歩めるようになるはず。

 

実は、昨日、

仕事でも良き展開がありました。

 

私が「これだけしてあげたのに」

と思っていたのに、

なんとなく仕打ちのようにされた気がして

「もうやってられんわ」

と匙をなげ、修復への道を

もくろむこともせなかった結果ーー

 

状況がなんと、よくなったという……。

 

恩着せがましい私の

めんどくさい性格を、

相手がふんわり包んでくれたのです。

つまり、許してくれたのです。

 

実はすごく意外でした。

たぶん、自分でも、

自分の言動がよくなかったことを

反省していて、

それを相手が、広い心で

受け止め、もう一度

最初のころに戻ってみましょう、

みたいな提案をしてきたことに、

驚きを隠せませんでした。

 

私の心も解けて、素直に

謝罪することができました。

 

ここ最近、夜の感謝儀式をはしおり、

ただ、「今日も寝られて気持ちがいい」

という思いだけで眠りについていた私。

 

でも、心の底では、

「良き事ありますように」と

自分の都合で期待していた(笑)。

 

よかった、ほんとに良かった。

なんだか嬉しいよ、ほんと

ありがとう!と、その

「相手」に感謝しかありません。

 

実は、保護者様とお子様です。

表現はおかしいかもしれませんが、

関係性が一皮むけて、よりよく

なれた……そんな気がしています。

 

また、うまいこといかなくなる

ことがあるかもしれませんが、

逃げないで、ちゃんと向かって、

私なりに、誠実さを大切に

していきたいな、と思っています。

おはようございます!

朝から重くもスッキリ決意したことを書かせていただきます。

※私の気持ちを収めるためのアメブロで申し訳ないのですが、宜しければお読みください。

以下は、チャッピーにも手伝ってもらって心の整理文です。

ーーー

昨日から、娘とのことをずっと考えている。

娘から見た私は、もしかしたら「毒親」なのかもしれないというか、毒親。


〝お節介で、私の話を聞いてくれない。一方的で、責められて、干渉されて、最高にうざい。〟

そう思われても、仕方がないと思う。

私は娘を認めていない。まだ、信じてもいない。お金のことも、これからのことも心配で、つい口を出してしまう。

でも、「もう疲れたよぉ」ーーーそう思いながら何度、チャレンジしたことか……

娘と仲良く買い物をしたり、ランチをしたりする親子を見ると、羨ましいと思う。以前は一緒に出かけることもあったけど、いつも私からだったし、いまなお誘われもしない。

でもね、もう「仲良し親子」を目指さなくていい。

娘への愛情を取り戻すことを、私の人生の課題にしなくていい。

私は、良く頑張ったんだよ、ほんとさ。
不器用だったけれど、一生懸命だった。

だから、ここで一度、母親として娘の人生を背負うことを終わりにする。

就活も、お金も、人生も、娘に返す。

私は私の人生を生きる。

もし娘が将来、私を恨んだとしても。
「毒親だった」と思い、私から離れたとしても。

それも娘の人生。

私はもう、絶対に追いかけない。

親子関係を壊すのではなく、「娘の人生を私が何とかする」という母親役を、今日で修了します。

ありがとう!!!
本当によく頑張ったよ、私。

感謝。

こんにちは。

タイトルの意味を、伝えるまで

だいぶ前置きが長くなりますが、

ご容赦ください。


ーーーー


最近の 私のストレスを、表しているのか、

今朝の夢は、笑えるほど明快な場面が

登場しました。


ニートな娘に対して

私が周囲の反対を押し切り、

「もう、我慢がならない、

こんなグータラで

働かない娘に、出てけと

言わねばならぬ」

と、向かっていく夢。


目覚めた時、私は

意外にも、スッキリしておりました。

そして、笑ったwww


(これが私の本心か)


3ヶ月以上も上げ膳据え膳で、

一向に働かず、

しかし、エージェントを通じて

10社ほど応募しているのは

それを〝努力〟と見たほうが

娘にとって良いのだろう、と

思ってはみるのですが、ね。


〝8時間働いて帰ってきて、

何で私が昼や夜も

旦那と娘のご飯のお世話

すべて、全て、

しなくちゃならんのがわからん!〟


「何もお金入れてないの、悪いね」という

娘の本音は、本当かもしれぬが、

態度で示せよ、行動で、、、と言うのが

私の本心。


マジに、誠に、私は

〝怒っているんだなぁ〟

と、自覚したのであります。


そして、改めて

私は、旦那にご飯の支度はできても

もう、二十歳過ぎの子供には

したくないんだな、

と気づきました。


旦那〝まで〟が、

私の許容範囲なのです。

意外なことに(旦那でなくw)

子供には

出ていけ、と言おうとしてる笑


しかも、最近 

私自身が仕事のことで

悩むと言うか、モヤモヤがら大きくなっており、

とうとう昨日、先輩同僚に

愚痴りました。


誰かに〝してあげる〟と言う

感覚を私自身が消さない限り、

このストレスは

減らないとわかってます。


見返り求めてるわけじゃないけど、

理解して、と言う気持ち。


全く〜〜

承認欲求と同じです。


感謝感謝感謝せよ、

そうだ、今のこの状況も、よくなるまでの

道のりなのだ、と

思うようにして、せめて

寝る前は

(あー気持ちいい、オフトン)

と感じるようにしております。


わかってるけど、さ、

ふと、心に

〝早く楽になりたい〟と言う気持ちが

これからを期待する気持ちより

まさってしまう。


この天気で気持ちもダウン。


ということで、コメダに来て

読書してます。


【犬のしっぽを撫でながら】という

小川洋子さんの著書。

タイトルに惹かれて読み始めました。


数学の美しさに小川さんは感動、

感服しているーー

数学者への尊敬の念ーー


そこで私は、まったく一緒の場に

居合わせたように

〝そうだよなぁ、数学って面白いし、

美しいんだよなぁ〟と

コメダでふと思っておりました。


同時に、

「娘がグータラ、

仕事はモヤモヤ、なんて

くだらないことで

私は悩んでるんだなぁ、

数学という、摩訶不思議で

しかも真実なこの世界において」

と感じてしまったのであります。


馬鹿らしいんだよ、

悩みなんて、ほんとにさ。


テトリスを、ただやれば

少し気持ちが晴れたり、

忘れたりするのと同様に(同じか?!w)

当時は好きだった

(決して得意ではありません)

数学の、勉強でもしてこれからみようか、、、

そう思えました。


数字は嘘つかない。


感情という、訳のわからないものに

捕まるのではなく、私は

私の道というか、決まっているであろう

数の世界に、毎日触れていれば

いいのさーーー。


マクロすぎる数にも、ミクロすぎる数にも

大きくつながる何か、

とてつもない世界に、

私のような

ちっぽけな思考が太刀打ちできるとは

大間違い。


流されて生きよ、

と教わった感じがした

コメダ時間でした😆

こんにちは。

 

(私は、子どもが好きなのか嫌いなのか)

 

ちょっと考えてしまうこの頃。

 

子どものために、

「なんとかしたい」とは思っても

子どもをまるごと受け入れながら

一緒に、その時間を楽しむのが

苦手かもしれません。

 

それは、教員をやっていたときも

実は感じていたこと。

子育ても、ね、楽しめていたかといえば

そうでもなかった。

 

いっていいですか、正直に。

めんどくさい、というのが

本音かもしれません。

 

子どもが好き、

子どもと一緒にいると楽しい、

と思っていたけど、

それは、誰かか

母からか、いずれにしても

自分で出した結論ではないかもしれぬ。

 

妄想であった、というのが

今の思い。

 

だからか、苦しかったのは。

 

ほかに「やれる仕事」がなかったから

教員をやっていただけの話。

 

そんな簡単なことに、今まで

まったく気づかなかったというわけ

ではありませんが、

 

昨今また「現場に復帰できるのでは」

と思い始めた私に、

神様、仏様、宇宙様は

「もう、やめとき」

という声を発しているように感じています。

 

それというのも、

午前の教育相談の仕事でも

私の「ほんね」が出てしまったし、

午後の児童クラブでも

子どもの遊びを見ているよりも

自分が一緒に遊びたい、という(笑)

 

一緒に遊びたい、というのは、

悪くないんでしょうけどね。

 

それでいいのだろうけど、

ちょっと違うみたいでして。

 

だったら、一緒に遊べる現場に

すればよいのでは、と思うのですが、

容赦なく、正直に、

思いをぶつけてくる子どもに対して

ほとほと疲れてしまう、しまった

というのが、あるのですよ。

 

まったく……めんどくさいのは

自分自身です(笑)。

 

たぶん、旦那がいうとおりなんだと思います。

→「在宅でパソコンに文章なり、言葉を

打ち込んだりしているほうが合ってる」

 

そうなんだよなあ、本当は

私はそのほうが幸せなんだと思う。

 

旦那はこうも言いました。

→「教員は合ってないと思う」

 

教えるのが嫌いなわけじゃない。

でも、勉強に対して

ある程度のやる気をもっていて

なんとかやろうとしている子に対しては

教えたい。

(でも、これって誰でもそうですよね)

 

やる気がない、勉強が嫌い、

集中力が続かないから学習力が向上しない

のであって、だから、

クラスにいけない、学校が嫌だ、となり

不登校へ……。

(勉強したいのに、

いじめ等の理由で休む子ももちろんいます、

そうした子には、なんとか学習のできる

機会を与えたいと思います。

 

さまざまな理由があるのに、同部屋で

対応するには無理がある。

 

学校は、本当に大変な場になっているなあ

と思います。

 

その学校へ”復帰したい”なんぞと

欲望をもってしまっている私。

です、でしたが、

早くも、「やっぱり無理かな」と

思い始めています。

 

姑息な理由なんですよ、

一応公務員、時給もそれなり、だから

非常勤でも、常勤でも、

身体が動くうちにやってみようかな、

と思ってしまったのだと。

 

本音の本音はきっと、

「家で、のんびり仕事&ときどきパート」

みたいな生活のほうが合っていると

”わかっている”。

 

しかし、お金とか、生活とか、老後とか

そういうのが不安だから、

現場復帰とか無茶な妄想を構築してしまう。

 

こまったものだ。

 

ノンビリ生活とお金を両方手に入れるのは

本当に難しい。

 

どちらに重きをおくのか、

まだ、決めるには時間が残っています。

 

自分でどうにかしようと思わずに、

事象を受け入れつつ、

流れに身を任せていこうと思います。