今朝、何気なく視聴した養老孟司さんの動画。

ここで、興味深い言葉を知りました。

 

自分はひとりじゃない。

 

こう聞くと、家族や友人、ペット、あるいは過去の人や未来の

人との交信…人によって自分のほかの対象を思い浮かべることでしょう。

 

しかし、養老さんがいうのは、ちょっというか

だいぶ異なります。

 

人間というのは、自分以外のものには

もともとネガティブ、

自分の中のものはポジティブにとらえます。

 

そして、自分のなかといえば、左脳と右脳。

左脳と右脳のつながりを分断された人が取った行動について

養老さんが解説してくれました。

 

その人は外出しようと着替えているのだけど、

言語や論理の左脳とつながる右手が

行くための準備をしようと靴下を履こうとしているのに、

 

感情や感覚の右脳とつながる左手が、それを遮っているとか。

つまり、”同じ人間”であっても

異なる人間が存在していると。

 

人の言動に本音と建て前があるのと同じですよね。

自分のことって意外にわからない、というのも

また事実。

 

わからなくて当然だなあ~。

左脳的要素、右脳的要素、どちらとも

「自分」であるのに間違いありません。

 

しかし、二つの相反する行動がみられることは、

まさに「自分」とは対峙するものが存在しており、

孤独ではない。

 

こう考えると、内向的な人が必ずしも

孤独とは言い切れず、

 

人と付き合うのが嫌いな人であっても

孤独な人と評価することはできず、となります。

 

確かなのは、「自分」とは

簡単に決められないものであり、

死ぬまで分からないものかもしれない、ということ。

 

自己表現、なんて、実は死ぬまで無理な話なのかも。

それでも、求めるのが

人間なんですかね~。

 

「ひとり」ではないからこそ、

悩むんですよね、きっと。