こんばんはぴよぴよ侍です
今回は『地水火風』の《風》について、また、最近参拝させて頂きました『龍田大社』の参拝記録や参拝を通して学んだことを書かせて頂こうと思います
《風》が私達人間にもたらして下さる恩恵とはどのようなものがあるのでしょうか
今回は、『陰陽五行』や『地水火風』においての《風》に深い関わりを持ち、その御力で日本を御守り下さった偉大な《風神様》を祀る神社として名高い『龍田大社』についてご紹介させて頂きます
最近は『枚岡神社』や『春日大社』など、東大阪や奈良の寺社に強く惹かれることが増えました
東大阪の『石切劔箭神社』とは元々ご先祖様からの御縁があるので、そちら方面の寺社に惹かれるのは必然なのかも知れませんね
そんなこんなで、次に東大阪か奈良の寺社へお参りさせて頂くとしたら、何処にしようか
魅力的な寺社が多く、かなり悩みました
特別な事情がない場合、数ヶ月に一度か良くて月イチくらいでしか遠征できないので、遠征する時は行き先を決めるのに慎重になります
寺社といいつつ、私の場合『地水火風』については主に神社や神様についてメインに学んでいこうと考えています
"適材適所"ということなのかも知れませんね
それで、風に関する神社はないかな〜と探していたところ、『龍田大社』に辿り着いたというワケです
それでもまだ『龍田大社』は候補の一つでしかなかったのですが、先日『石清水八幡宮』へお礼参りに伺った際、末社としてお祀りされている、私の大好きな貴船社と同じお社で一緒に龍田社が祀られていることに気付き、「あ、これは龍田大社へ行こう」となったのでした
『龍田大社』の創建は約2100年前、第十代崇神天皇の時代、国内で凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢の中に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて……」と御神託を受けました
その御告げの通りに御社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが『龍田大社』の創建だとされています
この地は二つの山脈の切れ目、いわゆる"龍穴"と云われる土地であるため、土地そのものの気も素晴らしいです
『龍田大社』は旧官幣大社であり、二十二社の一つとしても数えられています
このことからも非常に格式の高い神社であることがわかります
また、"法隆寺の守護神"として名高い『龍田神社』の本宮であり、"伊勢神宮『内宮』『外宮』両方の御神域に祀られる唯一の御宮"『風宮』の本宮でもあります
そんな『龍田大社』の御神紋は『八重の楓(かえで)』です
楓は文字通り「木」偏に「風」と書き、陰陽五行で風神様は木気にあたることを示しているそうです
そして八枚に分かれた楓の葉は"東西南北とその間の四方向、すなわち四方八方天下全てに漏れること無く風神様の清々しい御神気が行き渡りますように"との願いが込められているそうです
ちなみに『龍田大社』の"龍"の字は、正しくは右下の"三"の部分を"テ"のように書くそうです
漢字の変換が出来ませんので、此方の記事では"龍"の字で記載させて頂きます
《風神様》が如何に偉大であり、強大であり、重要であるのか
《風》とはどのくらい身近な存在なのかどれだけ有難い存在なのかその影響力とはどれ程のモノなのか
正直、なかなかイメージが湧きづらい方もいらっしゃると思います
ここからは、龍田大社の参拝記録を綴らせて頂いた後、《風》についても色々書かせて頂こうと思います
はじめに断っておきますが、この記事の一部は私がいつもお世話になっているとある神社の境内で綴らせて頂いております
既に過去の記事でも何度か書いていたテーマではあるのですが、きっと何か御祭神の意思もあるのだろうと感じたので、改めて書かせて頂きます
もちろん色んな意見があるのは承知の上なので、私の記事を読んで「なんか違うな」と思ってもそれはそれで全然OKですし、全て私の書く記事のとおりだと思うことの方が稀だと思うので、気になる部分だけを参考にして頂いて結構です
ただ、この記事をお読みになられて、「自分は全然駄目だなぁ」とか、決して悲観的になったり自分を否定したりしないで、あくまで一つの考え方に過ぎないと割り切る、「これからはこういう考え方もいいかもしれないな」とポジティブな方向に舵を切って頂ければ幸いです
このブログをお読みになられている貴方にも『好きな神社仏閣』『産土神社』『氏神神社』『いつもお世話になっている神社仏閣』など、ご縁のある寺社があると思います
そういった寺社へ日々参拝を重ねることで、寺社へ参拝できることがいつの間にか『当たり前』になってはいませんか
『ありがとう』の反対は『当たり前』という考えもあります
よく考えてみてください
この地球には現在81億1900万人もの人々が生きていると言われています
そんな膨大な人口の中で、生涯に一度でも貴方に『ご縁のある寺社』に足を踏み入れ、参拝することができる人間はいったい何人ほどなのでしょうか
寺社に限らず、観光地であったり自然豊かな場所であったり、『ご縁のある土地』『好きな土地』の土を実際に踏むことができる人間は、81億1900万人の中でいったい何人ほどなのでしょうか
その中で、何度も参拝を重ねたり、祭事や神事に参加することができる人はどのくらい居るのでしょうか
きっと、0.01%も居ないでしょう
どれだけ行きたいと思っても参拝が叶わぬ人も居るでしょう
そんな中で『当たり前』のように参拝することができる自分がどれだけ恵まれているのか、どれだけ"有り難い"ことなのか、たまには意識してみてはいかがでしょうか
きっと一回一回のお参りが今よりもっと真剣で心地良いお参りになることかと思います
"お参りさせて頂ける有り難さ"を意識するということがどういうことか簡単に例えてみます
Aさんは信心深いので、毎回真剣に神仏に祈ります
祈りの内容も毎度『家族が幸せに暮らせますように』と、とても尊い祈りです
そして本殿での祈りを終えたあとは、自然を感じながら参道を歩いたり、境内に祀られている自分の好きな神様に個人的なお願いや日々の出来事をお話したりして、参拝を終えます
そしてまた、次にお参りする日のことを楽しみに日々を過ごします
あくまで私の考えに過ぎませんが、このAさんの参拝は"ほぼ"理想的だと思います
なぜ"ほぼ"なのかというと、祈りを捧げる際に『いつもありがとうございます』『今日もお参りさせて頂きありがとうございます』『これからも宜しくお願い致します』の心が抜け落ちてしまっているからです
もちろん、Aさんは感謝の気持ちや崇敬の念を持ち合わせていることに違いはなく、神様にとっても気持ちの良い祈りであることに間違いありません
ただし、"今"『戸隠神社』に参拝させて頂けるということは、"私達が考えている以上に特別なこと"であり、しかも幾度もお参りさせて頂けるとなれば地球上の人間、いや、日本に住む人々に限定してもそう多くはないはずです
加えて、『戸隠神社』という神社・土地・信仰が今も守られ紡がれているということも『当たり前』ではないのです
長い歴史の中では断絶したり吸収合併されたり、歴史の闇に葬られ忘れ去られた寺社や神仏も多く存在します
そんな激動の歴史の中で、今も『戸隠神社』が存在しているのは、神仏はもちろんのこと、過去の神職さんや信仰者などの祖霊の方々や、土地の自然霊達による血と汗の滲むお働きあってのことです
そう考えると"今"そして"これからも"参拝させて頂けるというこの奇跡のようなご縁に感謝してもしきれないものだと私は思います
ですから、今の私が考えるAさんの祈りの理想としては、"最低限"『いつもお参りさせて頂きありがとうございます。家族がこれからも健康で幸せに暮らせますように。どうかこれからも宜しくお願い致します。』と真心を込めて祈ることです
祈りの内容に関して、自分はこのように努力しますなどと決意表明のような形を取ってもより一層の後押しをして頂くことができるでしょう
こうして、神仏のみならず土地や祖霊にも感謝を込めて祈ることで、より神様の御心に響き、神様にも土地や自然霊、祖霊にもより深い御縁が結ばれることと思います
当たり前ですが、打算的に祈るのではなく、"完璧でなくていいので自分なりに心の底から感謝の気持ちをお伝えする"ことが重要です
小さなこどもやお爺さんお婆さんが一生懸命に神仏に手を合わせ心から家族の健康や幸せを願い祈る姿を見れば、多少作法が間違っていたとしても、その者の力になってやりたいと貴方も心が突き動かされるでしょう
"最も"大切で重要なのは"完璧さ"よりも"真心"だということ、皆さんにはそこを意識して、これからも『好きな神社仏閣』にお参りして頂ければ幸いです
神仏とのご縁を深めていくことが、結果的に私達にとってどれだけ救いになるのか、きっといつかわかる日が来るはずです
大切なことなので、これからもこの事についてはたまに記していこうと思います
それでは皆さんもご一緒に〜……満足満足
ありがとうございました〜