こんにちは。夜中の2時半ぐらいから、痛みで目覚めて、なんだかすごいアレルギー症状が出てきて、いつものパターンなのでパニックはならないんだけど、薬どうしようかなあと悩むわけで、かゆいのも結構つらい。
ネットで調べて(正式な方ね)多分大丈夫だけど、できるだけ飲みたくないので外用薬を塗ることで何とかしのぐ。
毎回こんな調子だけど、これで頑張るしか道はないのかなあと思うと結構凹む。
痛みが重なったり症状が続けば自然な感情と気を取り直す。
夜中に起きた場合は無理に早起きはしない。身体に任せることにする。今日も頭痛は絶好調ってお題を変えたくなるほど?痛みはある。
家族には家事ができてないとか、主人も体調悪いのにフルタイムで働いてるので、正直、ずっと罪悪感持ち続けている。
この罪悪感というのも病気を悪化させる一つらしいが、、、世の中いろんな意見があるのと反論もあると思うので、判らない。
女性が仕事を続けるには、双方の両親、兄弟、いとことかいろんな助けがある人なんだなあと、知るのが遅すぎて、あとはご主人の仕事が、子供が熱出しても休める職業の人。すごい融通が利くんだなあと物凄いショックだった。
働く女性もモデルになる人が、職場でいなかったのも考えの浅さはあったと思う。
私もおばあちゃんが生きていてくれたおかげで育った人なので2馬力で働く場合は当たり前なんだけど。74歳で0歳の赤ちゃんと3歳児を育てるって大変だったろうなあと思う。私が74歳になった時に預けられてもとても怖くてできません。
自分の計画ではある程度大きくなったら、フルタイムで復帰して、小さい時は、熱が多くて仕事が無理だった。働き続ける人っ
病児保育を片っ端から調べつくして、職業紹介の人に相談したら、あなた、熱がある子がいるのに働くんですかとめっちゃ怒られる始末。熱がある場合は小児科が開設している病児保育を頼るしか考えてなかったけど、どこも物凄く遠かった。
結局最後に倒れるまで、選んだ最後の職場は熱を出しても休める職場。
主人も入院中だったのでもうそれ以前から体調が悪くても、火事場のバカ力で行けたと思う。一時期主人もなんのびょうきかさっぱりわからず、検査してもしても-。
主治医の先生が検査結果を持ってくるたびに、部屋の中はチーンと静まり返る。また違ったと_| ̄|○がっくりする瞬間を何度も何度も味わうたびに、部屋にいるのがどんよりしていった。
でもこの人がこんなに訴えるというのは、相当な出来事しかありえないから、何かがある。
だけど、このままでは一級障碍者で動けなくなるかもしれない。それでも私が支えて働こうと必死だった。
その後自分がぶっ倒れて主人は、病名がわかったから、治療したけど、そこの過程は短期入他院の繰り返しもあり、主人の母の助けがなかったらとても身がもたなかった。すごい勢いで貯金がひえ~と思うくらい働いても消えるので、残高見るのが真面目に嫌だった。そこから私がぶっ倒れてからは真逆の人生になってしまったけど。
脳せきで最後ぶっ倒れてた時は本当に体が動かなかった。自分で救急の玄関まで行った。そこから起き上がれない。車いすを看護師さんがもってきてくれた。その後、記憶がない。それから寝込み続けて、半年真面目に偏頭痛の薬を飲んで寝てるのに全くよくなららないことに疑問を抱いた。初診の時、疲れすぎて起立性頭痛について、血迷って解釈して無いですと答えたのが、遠回りの始まりで、脳せきの病院に行くまで2年ロスした。
それからずっとこの調子、申し訳ないなあという気持ちはいつもある。でも、身体はこんな調子だし、生きてていいのだろうかと正直思ったりする。
生かされた命。数時間どこかで、倒れてたら、助かったかわからない。
本当にたまたま、速く救急車が着て、たまたま速くとっとと病院に運ばれたから。
救急車は乗ってから病院に交渉するからそこからものすごい時間がかかる。でもたぶん、あの日なんだかよくわからないけど、
物凄い速く病院についたのは覚えている。おかげでとても珍しい患者としての扱いだったが。
普通は意識不明らしい。改めて思うとやっぱり怖い。
毎日とんでもない頭痛が起きると、ビビる。手足は動いてるかなと確かめる。
助けてもらった命なんだけど、なんか生かさなくちゃと思うけど、頭痛をしのぐが精いっぱいで、まだそこまでいけてない。