千葉県在住の小生がTinderなどを見ていると、プロフィールに「ディズニー」と書いてある人が多く見受けられる。彼ら・彼女らは「ディズニーが好き」ということを一種のステータスとして、恋愛の武器にしようとしている。
しかし、このような行為は見当違いも甚だしいといえる。誤解のないように始めに行っておくと、小生はディズニーは決して嫌いではない。『モアナと伝説の海』も『アナと雪の女王』も拝見しており、興味を持っている。だが、いや、だからこそ、「ディズニー好き」の人たちには疑問を感じるのである。
ディズニーがアメリカで生まれた際には、移民が自らの故郷を思い出し、アイデンティティを再認識するコンテンツであった。何も頼ることのないアメリカの荒野において、ミッキーを見て、遠い故郷のペストを、苦しいが懐かしい思い出として脳内に蘇らせる。アラジンを見て、自らの故郷オリエントに思いを馳せ、オリエント人としての自分を意識する。
しかし、日本ではどうだろうか。「ディズニー好き」を標榜する人たちは、アイデンティティを見失っているが、臭いものに蓋という具合にそこに「ディズニー好き」という看板をかぶせているのである。すなわち、欺瞞である。真実と愛に対する詐欺師である。
このような、アイデンティティの探求から目をそむけ、有耶無耶にしてしまおうという人間に、どうして愛を探求することができようか。アイデンティティの喪失というのは、現代社会ではありふれた問題であり、故に、確固たるアイデンティティを持たぬものに恋愛の資格がないとは、小生は思わない。迷い続けていても、loverとなり得る。しかし、これを放棄した人にloverは務まらない。ディズニーのアトラクションの長蛇の待機列で何も考えずに手をつないでいるようなカップルはloversとは言わない。それは「心と真実を失った者の吹き溜まり」に過ぎない。
「ディズニーは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り成長し続ける。」
これはウォルト・ディズニーの名言である。同じように、「恋愛も永遠に完成しない。」なぜなら、完成した恋愛があるとしたら、それは恋愛としては死んでいるからだ。前回の記事で述べたように、愛は常に変化し、活動し続けることであるからだ。
諸君、自己を、真実を探求し続けたまえ。決して、そこから目をそらしたり、偽ろうとしてはいけない。その行為こそが恋愛なのだから。