昨日、野口雨情記念館に出かけ

 今朝は、茨城新聞のコラム

 「いばらき春秋」に「赤い靴」の作詞

 モデルになった話しが掲載されていました


 その中から 一部抜粋して…


 「赤い靴」の女の子は、雨情が札幌市で 

新聞記者をしていた時代の同僚の妻の娘と

される。

 妻が同僚と再婚する前、娘は米国人

宣教師夫妻の養女になった。宣教師夫妻は

帰国したが、娘は肺結核を患って同行出来ず、施設に入った後、9歳で亡くなった。


 妻は当初、母子で北海道留寿都村に入植し

たが貧困が続き、娘の幸福を願って宣教師夫

妻に預けていた。妻は自分が亡くなるまで娘

が宣教師夫妻と共に渡米したものと信じてい

たという。







      「赤い靴」   

            

           作詞 野口雨情

   赤い靴 はいてた女の子
   異人さんに つれられて
   行っちゃった

   横浜の埠頭(はとば)から
   船に乗って
   異人さんに つれられて
   行っちゃった

   今では 青い目に なっちゃって
   異人さんのお国に
   いるんだろう

   赤い靴 見るたび 考える
   異人さんに 逢うたび
   考える

 

 野口雨情は、童謡とはどのようなものか

 ということを自著の中で繰り返し述べて

 います。


  「天与童心」

  童心とは、天より与えられた

  純粋無垢なもの


  童心の詩人 野口雨情の言葉

 「作者の名は残らなくてもよい

  作った詩歌が、世の人々に永く愛され

  うたわれるなら、それが本望です。」