今日はなぜか、これは書こうかな…と感じたので、書いておきます。
自分への宣言も含まれてるかもしれない(*・ω・)
コロナのワクチンと補償金について。
私の思うところを綴ってみました。
以下、ご興味のある方はどうぞ。
↓↓↓↓
世界各国、日本各県の情報はどうあれ。
国が
”ワクチンを打って亡くなったら、お金を払う仕組みを早くから創っている”
ということは、エビデンスの明確さに欠けているということだと考えています。
とかく、コロナウイルスとは…まだ明らかにされていないのです。(生きてる間に明らかになるかな…笑)
命を博打にかけることよりも、一進一退しながらでも、自分の足で歩んでいくことに私は価値を感じています。
選ぶのは一人一人。
4000万でも、貰えるならそれでいい。
と、思う人もいるし、私自身もそれ以上の価値が今の自分にあるのかと言われると、NOです。
ただ、未来の自分はどうなのか。
月収30万でも、約10年で稼げる額です。
月収50万なら、約6年。
月収100万なら、約3年。
たったこれだけで稼げる額をひとつのワクチンにかける必要があるのか。
3年生きるのなんて、あっという間です。
では、その先の人生は?
知らなかった人との出会いや知らなかった世界との出会い、たくさんの感動に出会えるかもしれない。
”それを感じることをもう自分には許さない”
と宣言することと同義だと私は思います。
少なからず、
”生きることを諦める選択のひとつ”
そういう意味が含まれているかなぁ…と。
「でも、自分の命は4000万という博打にかけるだけの価値がある」
「4000万を生み出す窓口のひとつ」
そういう考え方や他の考え方もあるかもしれない。
きっと聞いたら、そうなんだぁ(・ω・)と思います。
ただ、今は。
誰が作ったのかもわからないものにかけるなら、自分の心身に対して健全に賭けたいなと。
博打をうつなら、自分の可能性に。
そっちの博打を打ちたい。
何かと動きにくくなるように、制限をかけられていますが、今はただ歩いていくことに何よりも重きを置いています。
悩み、迷い、ときには苦しみに身を委ねながらも、ただただ生きること。
ただただ歩くこと。
歩みを止めないこと。
流れを止めないこと。
今は、母として、1人の女性として、娘として、妹として、社会で生きるものとして。
そして、生きている人間として。
私には何ができるのか。
いつ、どこで、誰に、何をして、どんな風に喜ばせたいのか。
そして、それはなぜなのか。
そんなことを、フワッと思っています。
そして、それにすらも囚われず。
そういう、よく分からないただの流れに身を任せることではない、
自分の人生の流れに沿って、ただ歩いていくことに重きを置いています。
コロナワクチンひとつが、だいぶ膨らんだ…(´-ω-`)
縁あって読んでくれた人の、
「そうなんだー(・ω・)」
に繋がったらいいなぁー(*・ω・)