応用編などは、数学が苦手なので、多分今でも解けませんが(笑)
基礎問題は、結構簡単に解けます。
何故簡単に解けるのかというと、解く方法、というのがあって、公式にあてはめたりすると、自然と答えが導き出されるからです。
応用編は、基礎で習う、「公式にあてはめる」ことを前提に、頭を働かせて、どのようにあてはめていくか?等、考えていきます。
因数分解に限らず、連立方程式、サインコサインタンジェント、色々ありますが、
文章題から、どの部分にどれをあてはめるか、を考えて、公式にあてはめて計算していくと、答えが出ます。
たまに、あてはめ方を間違えたり、計算の順番を間違えたりすると、違う答えになってしまったりします。
そもそも、その、「公式」って、どんな理由から、その公式が出来たのだろう?
その「公式」自体が正しい。って、証明出来るものはあるのでしょうか?
そんな疑問を、中学生の時に、先生に投げかけると、
「何故とか考えずに、とりあえず公式にあてはめてみたら、答えは出るからそれで大丈夫」
と、返ってきました。
確かに、何故とか考えずに、とりあえず公式にあてはめてみるやり方をすると、良い成績になるので、目標の高校を目指して、無心で勉強しました
あの時、私が投げかけた質問の、はっきりとした答えは、
きっと、あるのだと思います
笑
笑数学が得意な人、数学者や、科学者などは、余裕で、説明出来ることなのかもしれません
因数分解の時に疑問に思った、その時の気持ちを、最近、ふと思い出したんです
数学、理科、古文、古典、歴史、英語etc
生徒の中に、理科や数学の公式が、何故、その公式になるのか。自分で納得してから、解いていた人は、いたでしょうか?
その時代に生きていた人自身が作ったワケでもない歴史や、古文の解読方法を、何故、疑うこともなく、「絶対」という、前提が出来ていたのだろう。
ネイティヴの方に、教科書で習った英語を伝えても、少し違ったニュアンスで受け取ってしまうことも、ありますよね。
因数分解を習った時、基礎を3時間くらい?で習って、その後は、応用編をたくさん解いていきました。
応用編の、更に応用編まで解けるようになると、とても楽しかったのを覚えています

でも、応用編を解くことにフォーカスして、基礎が、「何故、基礎なのか」という疑問を持つこともなく、自然と、「基礎は正しいという前提」が、出来上がっていました。
きっと、毎日何気なく過ごしている日常にも、これにあてはまることが、たくさんあると思います

証拠もないのに、100%と言い切れないのに、疑問に思う、ということも忘れていること。
私が思っているのは、数学の公式が、本当に正しいかとか、何故そうなるのかとか、そういうことではありません

『自分で、情報を集め、自分で納得して、自分の中で、それも正しいな。と思ったワケでもないのに、
テレビでやっているから。教科書に載っているから。周りがみんなそう言っているから。
という理由で、疑問に思う隙もなく、前提に、なってしまっていること』
が、た〜くさん、あると思います。
ネット社会に溢れる情報を見ていてもわかります。
世界には、1つの出来事を、10通りにも、100通りにも捉える人たちがいます。
医療のこと、お金のこと、添加物のこと、言霊のこと、目に見えないエネルギーのこと、地球のこと、その他たくさん…
今まで当たり前だったことが、当たり前じゃなかったと、衝撃を受け、反発する人もいた時代…
すらも、もう過ぎ去り、近年では、新しい、当たり前、が、たくさんありますよね?
今では、人を探知して自動ブレーキする車は、世間一般で当たり前。
100年前では、考えることすら出来なかったことかもしれません。
今、夢の世界、非現実的、と思っていることも、もしかしたら、実は、「超現実的」なことかもしれません。
まだまだ、当たり前だと思っていたのに、当たり前じゃなかったこと、
反対に、そんなの非現実的、当たり前じゃない。と思っていたのに、当たり前だったこと、は、たくさんあると思います。
たくさんの情報の、どの情報で、納得するかは人それぞれです
でも、無意識に、前提に、なってしまっていたことを、見つめ直してみると、その、「情報を探す過程」には、たくさんの解釈と、可能性が生まれてきます
本当の面白さは、答えを導き出すことではなく、その、過程に、あるのだと思います。
目が見えること、
耳が聞こえること、
話せること、
歩けること、
命を持っていることが、
とても儚くて、有難くて、大切なことであるみたいに、
そんな、当たり前だと思っていることが、本当は、当たり前じゃないみたいに…
あなたは、自分が思ってるより何億倍も、素敵で、
世界はもっと、もっと、素敵で、面白いかもしれない
心を柔軟に、頭を柔軟に…
