日本の超古代文明においては
人間の精神現象を簡単なモデルで表わし、
そこから日本語音をつくったという歴史がある。
そのモデルの名前は「カタカムナ」という。
精神現象の形から音を決め、
その音を重ね合わせることで
物事の意味を規定する。
人間の心は丸い空間で表わすことができるが、
この丸は半分に割れており、
片々の半円を交代させながら、重ね、
中心の向きを遠くの円周に合わせながら
循環運動をしている。
円周の外は他の人の心と接合する点である。
要するにそれぞれの人の心は丸く独立しており、
その丸の外縁に設けられた点が
あたかも化学結合するように
結びつき、心を共有し、共感するという
仕組みになっている。
外縁の点の結び付きは+と-の関係になっており、
例えば右上の点に心がある場合は
左下の点に心のある人と仲良くなる傾向がある。
仕事を共にするパートナーであれば
自分の名前における外縁の点の欠けた部分を
補うような人がベストパートナーということになる。
上の半円は左右の半円の分割を意味し、
下の半円は左右の半円の統合を意味する。
右の半円は女性的なふるさとのような精神性を、
左の半円は男性的な真新しいものを求める精神性を、
それぞれ表している。
女性的な音は「ヒ」、男性的な音は「イ」で表される。
音の響き方を分析すると、
「イ」のかすれた感じが「ヒ」となり、
「イ」が生ずる奥の様子を意味している。
より根源的な「ヒ」とより現実的で流動的な「イ」に
精神の傾向が分かれることを歌の最初に示した。
歌の一番最初は「ヒフミヨイ」から始まる。
心の外周の点を順番に移動することで、
精神のある傾向が現われてから、真反対に移動するということを説いた。
端的に言えば「ヒ」は自分の心のある場所(ふるさと)、
「イ」は他人の心のある場所を表している。
「ヒ」から「イ」に進むということは
自分の心が他人の心と共有するまでの過程を描いている。
「ミ」は右半円の切断のキワに位置する点であるが、
ここが自他の心の共有点となっている。
そこから離れて、別の場所へ旅するような感じを「ヨ」で示し、
目的地の「イ」に到達するというわけである。
ただ、目的地といっても「場所は違えど重なっている」という
大変分かりにくい概念を「チ」という図で表わしている。
自他の心を共有する「ミ」という点は摂動と呼ばれ、
宇宙科学の用語であるが、精神の現象としては、
人の心に接してうごめいてゆく感じを表している。
「セ」という音には接する、接近する、差し迫る、といった意味がある。
「セ」と反対の音は「ケ」といい、
遠ざかる、かすんでゆく、溶けて無くなる、といった意味がある。
例えば、昼の十二時にご飯を食べようと思う時、
そのご飯は午前中の時間帯であれば「セ」という感じになり、
食べ終えた後の午後の時間であれば「ケ」という感じになる。
時計の文字盤も正午を境にして左右に分かれた半円になることが興味深い。