ヒフミヨイの解釈ですが、
ヒリヒリ染みてフーフー乾かすミ
ヨッコラセ と イッとく?
だと思います。
ヨッコラセ というのは
立ち上がるという動作です。
「イ」の小円は
「シ」にも共通しており
違いは
シーッと静かな 静電的な位置勢力(電圧)であるか
電氣が流れて感じているか? です。
「イ」という図
「シ」という図
ヒ は 火 にも 氷 にも使われますが
要するに 極端な状態です。
氷の方が変わってるかな?
氷川神社 氷雨 氷河 ひゃっこい
あと
「ヒ」と「イ」は
受けであるか 自分が行くか の違いです。
受けている状態は
その場に待機しているわけであって
どこにも行かない、
そこに居る という状態です。
「イ」には
佇まいの居の方だと「ヰ」の方を使います。
発音は同じですので
行っとく場合は「イ」を
その場に居る場合は「ヰ」を
使ってみてください。
普段の会話・・・
では分かりませんけど
文章に表わす時に
「ゐ(平仮名の方)」を使うとなると
それだけで
なんかいい感じがしませんか?
時々、このブログでも使ったりします。
「イ」は接続点であり
ある一点ではありますが
その一点は
どちらの側にも共通した
一点となります。
対して
「ヒ」の方は
両極端に離れるという意味で
「イ」は無限に近い距離 (求心力)
「ヒ」は無限に遠い距離 (遠心力)
のことを指しているようです。
次の歌詞の マワリテメクル の最初の
「マ」ですが
これを「アマ」ということもあります。
「アマ」と言えば
「アマノミナカヌシ」の略です。
「アマ」に対応して
「アメ」というのもありますが
これは
「アメノミナカヌシ」の略です。
「ミナカヌシ」というのは
ミの中が無いことを示す という意味になり
「ヌ」が 触らぬ 解せぬ というように
否定的な意味になり、
そのもの が 無い
という音(思念)になります。
「アマ」と「アメ」の「ミ」が無いので
「イモ マク カラ ミヌ フト ヤマ ト」
という歌詞があり
「ミヌ」という連続音が登場します。
「ミ」というのは中身、
「ヌ」というのは中身が無い器のこと、
だろうなとは思います。
中身と器を交換して
「アメ」と「アマ」になっている
ということなんだと思います。
どっちが中身で
どっちが器かというと
「アマ」の方が
間が空いてるわけですから
器という感じがします。
しかし
「マ」には真の意味もあり
そのものの真実の一点で
中身みたいな使われ方もします。
なので
真で使う「マ」のことを「アメ」と
解釈してもよさそうです。
ちょっと想像してみると
「アメ」というのは
空から降る あの雨のことで
それを溜めとく器のことを
「アマ」と言ってるのだと思います。
ヤタノカガミ図象は
桶のように
八方を留め金で留めて
空から降る雨を受け止める
器になっている
という解釈もできそうです。

ヤタノカガミの図
「アマ」には「カム」が対応します。
常に アマ-カム という
ふたつの根源的な音から
現象が始まる というのです。
「アマ」というのは
(カムと比べた時の解釈では)
あっ待って のことだと思います。
「カム」というのは
咬むことです。
どっちが 男 で どっちが女か
どっちが速くて
どっちがゆっくりなのか
どっちが余裕なくて
どっちがくつろいでいるのか
それは
音を聞けば
即座に意味が分かります。
だから
楢崎皐月さんが宇野多美恵さんから
「カム」の意味について聞かれたとき
「アマ」の意味も分からないのに
「カム」なんていうものは・・・
という反応の仕方をしていた
意味がなんとなく分かるというものです。

