頭で考えるビジョンと現実が会った時、
頭で考えるビジョンに合わせようとして
アセるけれど、
どうしてそういうビジョンを描いたのか
振り返ることなく
頭としてはそういうビジョンになる方法(優先順位)を
組み立てて、一生懸命、考える。
一生懸命考えて、ダメな時はあきらめて
ビジョンの方を見直す。
そうすればアセリは消える。
氣は落ち着いてくる。
ビジョンが立つのはなぜなのか?
どういうことを基準にして建てたのか?
基礎を見直す。
そして、考える。
基礎についても
過去に頭で考えた方法(優先順位)で
出来ているから
その優先順位のどこをどの方向へ
変えればよいかで
また、立ち上がってくるビジョンも
変わってくる。
一般にビジョンを建てることは
カタカムナ図象の「キ(氣)」であり、
建てたものを畳んで、見直す時の図は
家の建つ基礎を見直すわけだから
「サ(差)」を見ることになる。
「サ」の図が示す通り、
横にずれていると
まっすぐ氣が立ってくれない。
どういう位置にいれば氣が立つのか、
つまり、頭のビジョンと現実が合うのか、
考えていく事象が「サ」にはある。
「サ」から氣(キ)が出るわけだけど、
「サ」に戻って考え直すこともありうる。
そして、考えた結果、
また新しいビジョンを立ち上げる。
それは現実と合うのか、
また試してみるのだ。
カタカムナ図象の「キ」
そういう
鯉のぼりのような「キ」という図を立ち上げることと
鯉のぼりが立つ地べた つまり 「サ」を踏みしめるという
2つの行為で、頭が成る。
「サ」を地べたとして「キ」が建つわけだから、
普段は「サ」は見えない。
感じない。
しかし、現実と合わないときは
感じる ようにする。
ここで、やっと 感じる ということを
しようと思うようになるのだ。
何もなければ 何も 感じない
それは まるで ロボット のようであろう
それは まるで ゾンビ のようであろう
一応、頭が一方通行の状態でアセリ
地べたを見直すことに頭が行かない時
「しなびた植物」のような様相 を呈してくるのだが
ここで
読者のみなさま方には
見直す
ということができるのだということを
あらためて
感じてもらいたいと思いました。