面倒くささは消えません。
娘が私に話しかけてきました
『ママ~、お風呂入るのめんどくさい~、カウンセリングで何とかして。お風呂入るのがめんどくさくなくして』
無茶ぶりですよ(笑)
何が、めんどくさいの?と聞くと
1人は、おもしろいテレビやってる時間帯だから~。
これは、録画しろ、の一言ですけどね(笑)
見てる途中だと気になって…というのだったら最初からテレビはつけないで録画にしておくとかね。
そしてめんどくささの説明
もしお風呂に入ることが、昔おぼれたとか、誰かに風呂に沈められて殺されかけたトラウマがとか、そういうことならカウンセリングで治療します。
でも傷があるわけじゃなくて面倒なら、それは消えないんですよ。
なぜなら面倒なことは自分をお世話すると言うことだからです。
ゴミ捨てるの面倒だけど、捨てなきゃゴミ屋敷
掃除するの面倒だけど、やらなきゃ不衛生
栄養バランス考えて食べるの面倒だけど、やらなきゃ体調不良おこしやすい
メイク落とすの面倒だけど、やらなきゃ肌が荒れる
風呂入るのめんどくさいけど、これもやらなきゃ不衛生、日本は多湿だからきちんとケアしないと肌のトラブルが起こりやすい。
どれもこれも、面倒ですね。
しかし、コレ、ほとんどのことが赤ちゃんの頃は、お母さんがやってくれていたことです。
お母さんは赤ちゃんを愛する行為として、かいがいしくお世話をします。
愛するって面倒くさいんですよ。
面倒っていうことを超えたところに愛があるんですよ。
お母さんから一方的に与えられていた面倒くさい行為は、自分をケアすると言うことの始まり。してもらっていることが、だんだん 「自分でやってごらん」 になっていきます。面倒だけど自分の世話をするということを知る。
ここで、親からしっかりと愛情あるケアを受けなかったときに、自分を愛する行為がわからなくなり、ゴミ屋敷になったり、自分自身を快適な状態においてあげられることが出来なくなったりします。
自分を愛することを放棄してしまうんですね。
自分を愛すると言うことを選択するときに、面倒なことは毎回決意してやらなければなりません。
愛って決断なんですよ。
めんどくささを受け入れて、自分のために行動するという決断。
そして、やってごらんと、自分で出来るようになる事を訓練せずに、ず~~~~~っと親がやってあげると、自分を愛するめんどくささを知らないままになります。
めんどくさいと思ってもいい。
でも、自分にとって、自分を愛する決断は何だろうか、自分を大切にするのは何だろうか?と考えてみて選択できたら良い。
体調が悪いならお風呂入らなくて良いし、今日は疲れているから明日の朝に入ろう、でもいい。
でも面倒なことは消えてなくなりはしない。
と、言うとなっとくしてお風呂に入りました(笑)