(前回「京街道(東海道五十七次):石清水から枚方へ(前)

」より続く)

 

 かつて遊郭があったという橋本から、京街道を南に歩くと、

 

 

「国史跡 楠葉台場跡」という案内板がありました。

 

 楠葉台場(くずはだいば)は、慶応元年(1865)、江戸幕府が設置した砲台跡ですが、

 

 

 

台場の中を通るよう京街道を付け替え、番所も設置した、ということなので、 

 

 

関門としての機能も持たせた、ということになるでしょうか。

 

 

 南側には虎口があり、土塁と大堀も。

 

 

 後藤敦史「特集にあたって」*によれば、

 

名目としては大阪湾からの外国船の進入を防禦することに目的があり、砲台を備えた台場に違いないが、実際には、京都守護にあたっていた会津藩により、長州藩などの反幕府勢力や過激な尊王攘夷派の上京を防ぐ関門として設置された。

 

名目は「台場」ですが、実際には、京都口の関門としてとして設置されたものということになるようです。

 

 

 さて、旧京街道を南に歩いくていくと、

 

 

樟葉駅の北で淀川の堤に出ました。

 

 

工事中の橋脚は、新名神高速「淀川橋」。

 

 2025年12月18日付日経電子版によれば、「新名神高速道路の八幡京田辺―高槻、2027年度開通が困難に」。

 

 いつ頃の開通ということになるのでしょうか。 

 

 

楠葉橋を渡ったところで左折し、堤防を下ると、

 

 

堤防下に、お地蔵さんの祠、「七人力士供養塔」、

 

 

「八幡宮」の石標。

 

 

牧野駅の先で穂谷川を渡り、再び府道13号京都守口線へ。

 

 

 上画像は、貝原篤信「諸州めぐり南遊紀行」**巻之上より。

 

 天の川(天野川)に架かる、

 

 

鵲橋を渡り、旧枚方宿に入りました。

 

*『ヒストリア』第217号「特集 幕末京都口の関門ー枚方・楠葉台場跡」(大阪歴史学会、2009年)

 

**『紀行文集』(帝国文庫、博文館、1930年)