(前回「明けましておめでとうございます」より続く)
JR藤森駅(JR FUJINOMORI STATION)で下車し、
京教大のキャンパスを右手に見ながら坂を下っていくと、

「勝運 馬の社 藤森神社」という看板が見えてきました。
同神社は、HPに、
馬を守護する神としても広く知られ、今日では勝運と馬の守護神として競馬関係者や馬と関わりのある方をはじめ、馬を愛する方、更には午年生まれの方など、馬と縁のある多くの方々から信仰をあつめています。
と書かれているように、「勝運 馬の社」として知られているのでしょうが、私が同社に詣でたのは、2026年が午年だから。
安政二年の清河八郎の紀行文『西遊草』*巻の四によれば、
それより大津街道をすぎ、伏見城跡の傍なる小坂をこへ、最早藤の森にまぢかきころに雨しきりにいたり、雨衣にてもたへかぬるほどの事なり。
藤森明神は崇道天皇と申て、何の故にや行列を以て伏見の稲荷迄いたるなり。
何の故にや、私にもわからないのですが、
凡天下に武者のいづる祭りも多くあれども、ただかたちのみにて、さらに見るものなきに、此祭礼ばかりは万事そなわりたる本格の陣列故、いとめずらしくぞ思わる。
五月五日の「藤森祭」は現在も、武者行列が各地区を巡行し、
中に尤とも面白きは馬乗なり。氏子の若ひ衆、思ひ思ひのよそをひをなし、鞍置き馬にまたがり、四番、五番目の中にても曲のりをなすなり。
境内南参道の馬場にて、駈馬神事が執り行われています。
上画像は『都名所圖會』(1780年)巻五「前朱雀」より挿圖「藤の森の祭」(部分)。
本文中にも、
例祭は五月五日にして、産子は武具を着して走馬する事
と、説明書きがありました。
さて、「午年まいり」との看板が下がる鳥居をくぐり、
祭礼の折には馬場ともなる、南参道を進み、
拝殿の間を抜けると、
正面に本殿が見えてきました。
秋里籬島『都名所圖會』(1780年)巻五によれば、
藤杜社 ふぢのもりのやしろ 墨染の北にあり。本殿の中央は舎人親王 東は早良親王、西は伊豫親王を祭る。また本朝武功の神を配祀し奉る。
上画像は、「學藝の祖 舎人親王崇敬碑」。
前掲の『都名所圖會』によれば、
舎人親王は天武天皇の皇子にして、天平寶宇三年に追尊あり。崇道藎敬皇帝と號す。養老年中に勅をうけて日本紀を撰し給へり。
「日本書紀』はたまにチラ見するぐらいの私ですが、午年生まれの息子の学芸の成就を
。
この後は、西参道から、伏見街道へ出て、
京の都に向かいました。











