「𦾔中仙道 磨針峠望湖堂」に向かう道を分け、

 

 

近江鉄道フジテック前駅(滋賀県彦根市甲田町)を、左(西)に見て、国道八号線を北上しました。

 

 寒川辰清『近江輿地志略』巻七十七を見ると、

 

○甲田村 下矢倉村の北にあり。梅原村の東南なり。

 

 甲田村は、1889年の町村制の施行により、坂田郡鳥居本村大字甲田となり、現在は彦根市甲田町です。

 

 ○梅原村 甲田村の北西にある村也。此村前、西は湖水の入江。村後は山、西は北國街道也。

 

 当時、北国街道の西は、琵琶湖の入江だったようですが、現在は、ヤンマー中央研究所・鉄道総研・滋賀県北部産業技術共創センターと並び、その西には近江鉄道本線・東海道本線・東海道新幹線が併行して走ります。

 

 そして、その梅ヶ原の北が、米原。

 梅原村や米原村などは、1889年の町村制の施行に際し、「入江村」になりました。

 

 『近江輿地志略』巻七十八によれば、

 

○米原村 岩脇村の南にある村なり。北陸道の通路、湖船着岸の地、近江三湊の其一なり。中古朝妻の湊を此地へ移せる後、湊となる。

 

 かつての米原は、北陸道の宿場町であり、湊町。 

 

 

 国道八号線から、米原駅方面に左折すると、駅前に「米原湊跡」の案内板がありました。

 

 滋賀大学経済学部附属史料館にゅうす『SAM第11号』(1999年)によれば、現在のJR米原駅のあたりが米原の湊。

 珍しいのは、船の両側に車輪を付けた外輪船「車早船」が就航していた*ことで、

 

 

駅前にも「米原湊跡」の石碑とともに、車早船の模型が展示されていました。

 

 ただ、かつての内湖は埋め立てられ、

 

 

現在の米原は、東海道新幹線と東海道本線・北陸本線が発着するJR米原駅と

 

 

近江鉄道本線が発着。

 

 

 さらに国道8号線と21号線、名神高速と北陸自動車道が分岐する道路交通の要地です。       (次回に続く)

 

*岩﨑奈緒子「米原湊の車早船について」、『滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要』第33号(2000年)