(前回「熊野古道:大門坂」より続く)

 

 

 上画像は、暁鐘成編『西国三十三名所圖會』三(1853年)の挿圖「第一番 那智山本堂」*。

 

 同圖會の本文によれば、

 

 第一番 那智山如意輪堂 青渡岸寺と云

  本尊 如意輪観世音菩薩

 

 那智山青渡岸寺の本尊は如意輪観世音菩薩なので、

 

 

同寺の本堂(如意輪堂)の前には、「那智山如意輪観世音菩薩」と書かれた幟が立っていました。

 

 

 ちなみに、本堂は1590年、豊臣秀吉の命により再建されたもので、国の重要文化財。  

 

 抑権現、当山に跡を垂させましましてより以来、我朝の貴賤上下歩をはこび、かうべをかたむけ、掌をあはせて利生にあづからずといふ事なし。僧侶されば甍をならべ、道俗袖をつらねたり。

 

『平家物語』巻第十「熊野参詣」を見ると**、

 

 寛和夏の比、花山の法皇、十善の帝位をのがれさせ給ひて、九品の浄刹をおこなはせ給ひけん御庵室の旧跡には、昔をしのぶとおぼしくて、老木の桜ぞさきにける。

 

 花山法皇は後に西国三十三所巡礼の権輿とされ、同寺がその一番札所となりました。

 

 

 続けては、同圖會より挿圖「熊野権現社」*。

 

 「礼デン」の後に五殿、左にも一殿、本殿が造営されています。

 

 

 上画像は、現在の熊野那智大社の礼殿。

 

 二河良英「熊野詣と那智の信仰」***によれば、那智の主神は伊弉冉尊、本地仏は千手観音で、後白河院は33回、後鳥羽も29回、熊野に御幸しているようです。

 

 後白河院編『梁塵秘抄』巻第二に****、

 

聖の住所はどこどこぞ、箕面よ勝尾よ、播磨なる書写の山、出雲の鰐淵や日の御崎、南は熊野の那智とかや

 

という、今様歌謡が収められているので、当時の人たちには、那智は聖の住所と捉えられていたでしょうか。

 

 建仁元年(1201)、後鳥羽院の熊野御幸に供奉した藤原定家にも、

 

  那智深山風

 風の音もたゞよの常に吹かばこそみ山出でての形見にもせめ

 

という歌があります*****。

 

 

 ちなみに、社殿の右に見える大楠は、ご神木。

 

 樹齢は推定850年で、樹高は27メートル。後白河や後鳥羽の行幸、藤原定家も幼木の頃を見ていたでしょうか。

 

*国立国会図書館デジタルコレクション「古典籍資料(貴重書等)」

 

**『平家物語 四』(岩波文庫、1999年)
 

***『歴史手帖』第93号(名著出版、1981年7月号)

 

****『新訂梁塵秘抄』(岩波文庫、1933年)

 

*****『藤原定家歌集』(岩波文庫、1931年)