(前回「奈良街道:南生駒駅から榁木峠へ」より続く)

 

 川井景一編『奈良縣名勝志』(1891年)によれば、

 

 榁木峠 同郡(添下郡)同村(矢田村)二在リ頂上至ル凡六七町

 

 矢田村は1897年、添下郡から生駒郡になり、さらに1953年、郡山町に編入*。

 翌54年、同町は市制を施行し*、現在は大和郡山市です。

 

 

 さて、矢田丘陵の榁木峠を越えると、

 

 

すぐ左手に、東生駒方面の道、

 

 

次いで、右手に矢田山遊びの森への道を分けると、

 

 

追分集落までは、もぅすぐ。

 

 

 追分には、追分神社があり、

 

 

「追分本陣」村井家住宅も。

 

 

 私が行った日には、あいにく工事中でしたが、

 

 

 

「追分本陣村井家住宅 主屋・本陣座敷 附 表門、道標2基」として、奈良市指定文化財です。

 

 

 奈良市中町まで下ると、常夜燈の脇に、

 

 

 

基準点名10712の一等水準点。

 

 地理院地図によれば、標高は90.1m。

 

 

 そして、富雄川に架かる下鳥見橋を渡ると、砂茶屋の集落で、

 明治時代の歌人加藤安彦の紀行文『松の下草』(同勞舎、1903年)を見ると、

 

 廿日法隆寺小泉郡山を過て奈良にいたる(略)砂茶屋といふ村にやとる。

 

 かつては、宿屋もあったのでしょうか。

 

 廿一日室の木たうけくらかりたうけを越え松原より難波につき林正祐の家にやとり二十二日船にのりて京に歸る。

 

 私は加藤安彦とは逆方向、砂茶屋から奈良に向かいます。

 

*大和郡山市のウェブサイト「大和郡山市のあゆみ」より」