(前回「大神神社」より続く)

 

 

 大神神社を出て、山の辺の道を、

 

 

桜井駅に向かいます。

 

   山の辺の道の初出は、おそらくは『古事記』*で、中つ巻の崇神記に

 

 御陵在山邊勾之岡上也

 

 景行記に、

 

 御陵在山邊之道上也

 

と、記されています。

 

 また、『日本書紀』巻第五の崇神紀**では

 

   葬于山邊道上陵

 

 巻第七の成務紀***には、

 

 葬大足彦天皇於倭國之山邊道上陵

 

と書かれているので、表記としては「山邊道」あるいは「山邊之道」が古いのかもしれません。

 

 

  (移設されている可能性もありますが、)同社の境内に立つ「三輪大明神」の標柱の右面には、

 

 

「左」「はせ いせ」「みち」の文字。

 

 山の辺の道を南に進むと、長谷寺や伊勢に向かう「初瀬(伊勢)街道」に出ます。

 

 

 山の辺の道は「山の辺」、少し高台を歩くので、所々、奈良盆地の展望も。

 

 右が耳成山、左が畝傍山、後方に大きいのは金剛山地でしょうか。 

 

 

 

 私は、大神神社~天理間は以前歩いたことがあるので、今回は、「山の辺の道」を南方向へ。

 

 

 上画像は、平等寺脇の道標。

 

 彫られている文字は、側面が「三わ 明神すぐ」で、

 

 

正面が「はつせ」「いせ」「道」。

 

 

 三輪山平等寺の境内に入ると、

 

 

正面に、1987年の再建という「本堂」と、

 

 

その奥に2004年再建の「二重塔釈迦堂」。

 

 平等寺は、かつては三輪明神の神宮寺(別当寺)であり、「平等寺年預書上」****によれば、

 

 一 坊舎 九ヶ坊

 一 知行 八拾石

 一 宗旨 真言宗

 一 本寺 大乗院御門跡

 

 真言宗が宗旨で、興福寺の塔頭大乗院門跡が本寺だったようですが、現在は曹洞宗の禅寺です。

 

 

 さて、山の辺の道に戻り、さらに南に進むと、

 

 

金屋の石仏が見えてきました。

 

 御堂の中をのぞいてみると、二体の石仏。

 

 

 上田正昭『大和路の旅』(角川叢書、2010年)によれば、

 

 もと三輪山のみろく谷にあった石仏は、山の辺の道が金屋の村の北部に入る小堂に安置されている。

 

 板石へのレリーフなので、かなり風化していますが、右が釈迦如来で、左は弥勒菩薩*****。

 制作年代は不明ながら、国の重要文化財です。 

 

*『古事記』(岩波文庫、1963年)

**『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)

***『日本書紀(二)』(岩波文庫、1994年)

****『三輪叢書』(大神神社々務所、1928年)

*****「展覧会注目の一品(7)金屋の石仏拓本」(2024年1月20日付奈良新聞デジタル)