(前回「熊野古道:紀伊長島駅からi一石峠へ」より続く)

 

 

  古里海岸で休憩した後、

 

 

道瀬海岸に向かいました。

 

 『紀伊續風土記 第三輯』巻之九十二の「道瀬浦」に、

 

 東の方海野浦のかたに道瀬坂あり村より峠まで五町是を村界とせり

 

 また、曉鐘成『西国三十三所名所圖會』(1853年)に、

 

鋸坂 馬坂とも云道急なり古里より道瀬にいたる間の行程六丁許

 

 

と書かれるように、かつては道瀬坂(鋸坂・馬坂)で、道瀬浦へ越えていたのでしょうが、大正時代に海野隧道が開削。

 

 

 その後、国道42号線が整備されたため煉瓦隧道はその役割を終え、現在は「古里歩道トンネル」。

 

 延長208mで幅員3.2m、国の登録有形文化財です。

 

 

 さて、トンネルを抜けると道瀬海岸。

 

 堤防道路から跨線橋への道に上がり、さらに手前の林道に入ると、

 

 

上画像の道標。

 

 ここから三浦峠への道(熊野街道)に入ります。

 

 

 

 『紀伊續風土記 第三輯』巻之九十二によれば、

 

 ○ 三浦峠 村の寅の方十四町にあり登る事五町道瀬村の境にて往還なり

 

 また、同巻之九十二の「道瀬浦」によれば、

 

 道瀬浦 三浦の東廿一町往還にありその間に三浦の峠あり

 

 

 「三浦峠」は、熊野参詣道伊勢路で、国指定の史跡。

 

 

 曉鐘成『西国三十三所名所圖會』(1853年)によれば、

 

 三浦峠 坂道急なり三浦坂ともいふ峠を下りて三浦の里に至る

 

 坂道は急ではあるものの、案内板によれば標高は113mなので、 

 

 

一汗かいたところで、

 

 

 三浦峠に到着しました。

 

 

 ただ、ここから先の下り道(熊ヶ谷道)は長く、

 

 

熊ヶ谷橋が見えた時には、ほっと一息の気分。

 

 

 1944年頃に流出した木橋を、2005年に復元したそうです。

 

 

 ここが三浦側の登り口で、

 

 

林道を下っていくと、

 

 

三浦の里に出て、

 

 

やがて三野瀬駅が見えてきました。

 

 三野瀬の当時の所在地は、三重縣北牟婁郡三野瀬村大字三浦で、1932年4月26日の開業*。当時は終着駅でした。

 

 なお、三野瀬村は、三浦・海野・道瀬の合成地名。

 1889年に発足し、1950年長島町に編入されました。

 

*『官報』1932年4月20日