今日は、中山道鳥居本宿の画像をご覧下さい。
大田南畝『壬戌紀行』(1802年)によれば、
鳥居本の驛は、多賀明神の鳥居この所に有し
ゆゑにかく言とぞ、驛の中なる左の方に彦根道との石表あり
その石表から北へ3軒余りで、
平入り切妻造、つし2階の百々家住宅(国登録有形文化財)。
現在は、十割手打のそば処「百百百百」です。
浄土真宗本願寺派の洞泉山専宗寺。
成宮家住宅(国登録有形文化財)。
やはり、平入り切妻造のつし2階で、上部は漆喰塗込、虫籠窓です。
鳥居本は、中山道63番目の宿場町で、
「←佐和山城下町」「↑至江戸」という道標の立つ交差点を横断歩道で渡ると、
右手に合羽所「松屋」。
大田南畝『壬戌紀行』を見ると、
此驛にまた雨つゝみの合羽ひさぐ家多し
鳥居本は、雨合羽が名物だったようです。
上画像は、本陣跡に建つ「寺村家住宅」(国登録有形文化財)。
木造2階建寄棟造で和風ではありますが、白い煙突が印象的。米建築家ヴォーリズの設計だそうです。
続けては、「合羽所 木綿屋」という合羽の形をした看板が軒先に下がる「岩根氏住宅」(彦根市指定文化財)。
大田南畝『壬戌紀行』が
油紙にて合羽をたゝみたる形つくりて合羽所と書しあり、江戸にて合羽屋といへるものゝ看板の形なり
と書く、合羽屋はどこだったでしょうか。
「旧鳥集会所」。元旅籠「米屋」であり、湖東焼自然斎住居跡だそうです。
ところで、鳥居本のもう一つの名物と言えば、『木曽路名所図会』に、
此驛の名物神教丸、俗に鳥居本赤玉ともいふ。此店多し。
と書かれる「神教丸」。
上図は、同図会の挿図「鳥居本 神教丸店」。
店内には、「神教丸 有川家」との衝立も見えています。
上画像は、赤玉神教丸有川家。
「有川家住宅」として、国の重要文化財。
側面を見ると、屋根が重なりあって複雑なつくりです。
大田南畝『壬戌紀行』を見ると、
次に神教丸といへる看板を出せし家あり、是本家なりといふに一嚢もとめて家づとゝす
大田南畝も、これ本家なりと、一袋買い求めたようです。
集落を抜けると、「旅人の像」で、「またおいでやす」。
旧中山道を、摺針峠に向かいます。(次回に続く)