先日、旧中山道の高宮~醒井間を歩いてみました。
この日の出発地は、近江鉄道高宮駅。
近江鉄道のマスコットキャラクターは「駅長がちゃこん」。
待合室には、鉄道模型も展示されていました。
さて、駅前の道を直進し、突き当たったT字路を右折、
旧中山道を北進していくと、
左手に「石清水神社」が見えてきました。
『木曽路名所圖會』(1805年)*によれば、
石清水八幡宮 大堀村街道の左にあり。扇塚近年江戸喜田氏建つる。
また、大田南畝『壬戌紀行』(1802年)**によれば、
大堀村をすぎて左のかたに奥ふかく石坂の見ゆるは岩清水大明神なり、大堀川は土のかり橋よりわたる、
その大堀川(芹川)を渡る手前には、「中山道旧跡 床の山」の石碑。
側面を見ると、
ひるがおに昼寝せうもの床の山 芭蕉
という芭蕉の句が彫られていました。
風國撰の『泊船集』巻之三「芭蕉庵拾遺稿」には、
ひるがほにひるねせうもの床の山
『芭蕉俳句集』(岩波文庫、1970年)では、貞享五年の句で、
東武吟行のころ、美濃路より李由が許へ文のをとづれに
ひるがほに昼寝せうもの床の山(韻塞)
河野李由は、彦根明照寺住職で蕉門の俳人。
また、『韻塞』(いんふたぎ)は、彦根藩士森川許六と共同編集で、元禄十年の刊行。
芭蕉は美濃路へおもむく際、李由のもとへ、この句を付けて文を送ったようです。
さて、さらに中山道を北に歩いていくと、国道306号を横断したところに、多賀大社常夜灯。
『木曽路名所圖會』*に、
此邊より彦根城下に出づる道あり。又右の方に、多賀より街道へ出づる道あり。
とあるのは、この辻のことだったでしょうか。
名神高速彦根インターへの取り付け道路のガード下をくぐると、
「すぐ ひこね」「天寧寺五百らかん」との道標。
もう一本取り付け道路のガード下をくぐると、原八幡神社の鳥居。
大田南畝『壬戌紀行』**を見ると、
原村を過て、左に八幡宮の鳥居たてり
鳥居の左足元には、「芭蕉昼寝塚」「祇川白髪塚」との石碑も見えています。
続けては、小町塚。
『木曽路名所図会』*によれば、
小野村道の右の上に石佛地蔵堂あり。小町塚といふ。
小町塚 小野村といふより名付けしならん。その證いまだ考へず。
小野の集落を抜けると、百々の集落に入り、「彦根道との分岐点の道標」。
「左中山道 京いせ」「右彦根道」「文政十丁亥秋 建之」。
「滋賀県を代表する道標の一例として貴重」ということで、彦根市指定文化財です***。
また、道標の向かいには彦根鳥居本郵便局があり、その先に、
国登録有形文化財の「旧百々家住宅」が見えてきました。
(次回に続く)
*大日本名所圖會刊行會(1919年)
**『蜀山人全集 巻一』(吉川弘文館、1907年)
***彦根市教育委員会文化財部文化財課「彦根市指定文化財:解説シート」