(前回「中山道太田宿」より続く)

 

 

 上画像の案内板は、旧中山道太田宿の「高札場跡と郡上街道追分」。

 

 

 追分に建つ道標は、1893年名古屋市伊藤萬藏の建立で、「關上有知」「左西京伊勢道」です。

 

 

国道41号線の高架下をくぐると、大きなムクノキがあり、

 

 

木曽川の堤防に出ました。

 

  上画像は上流方向で、国道41号線の中濃大橋。

 

 

 続けては下流方向、正面に見えるのは鳩吹山です。

 

 いったん旧国道21号線(県道207号各務原美濃加茂線線)に出て、坂祝町に入っていくと、

 

 

取組の一里塚趾。

 

 貝原益軒『岐蘇路記』を見ると、

 

 取組といふ村より又木曾川に添て道筋有

 

 

 このあたりの木曽川は、通称「日本ライン」で

 

 

 

貝原益軒『岐蘇路記』によれば、

 

川邊の岩多くつらなりて見事也。好景也。

 

 

 堤防沿いには「名勝木曽川」と、

 

 

「行幸巌」の碑もありました。

 

 

 再び、旧国道21号線に出て、

 

 

木曽川右岸を歩き、

 

 

道標に従って、少し上ると、岩屋観音堂。

 

 

うとう峠への道に入ると、

 

 

少しの登りで、

 

 

 

うとう峠一里塚に到着しました。

 

 先ほどの貝原益軒『岐蘇路記』を見ると、

 

 其西にうとう坂とも長坂とも云坂あり。其西のふもと即鵜沼也。

 

 

 坂を下っていくと、

 

 

 鵜沼宿東の見付跡。

 

 

中山道はここを左折し、鵜沼宿に入るのですが、私は名鉄鵜沼駅へ向かい、帰途に就きました。