(前回「中山道:御嵩から伏見宿へ」より続く)

 

 

 上画像は、御嵩町伏見の「一本松公園」。

 

 秋里籬島『木曽路名所圖會』によれば、

 

 伏見 御嶽まで一里五町。これより西は多く平地なり。往還の左右に列樹の松あり。東海道の如し。是より東には列樹の松なし。山里なればなり。

 

 また、同図会によれば、次の太田宿までは二里の道のりです。

 

 

 上画像は、松屋山田家住宅(国登録有形文化財)。

 

左(東)のモルタル塗は旧郵便局。それに対して主体部は1897年の建築。「宿場の名残を伝える近代の町家」です。

 

 

 中山道を西に歩いていくと、国道21号と県道122号の「上恵土」交差点に、上画像の道標。

 「右 太田渡ヲ経テ岐阜ヘ至ル約九里」「左 多治見及犬山ニ至ル約四里」。

 大正4年(1915)年の建立です。

 

 

 中恵土交差点の手前には、石碑「恵土一里塚の跡」。

 

 

国道21号線から、旧道に入り、JR太多線の踏切を渡り、さらに中山道を西に歩いていくと、

 

 

今渡の渡し場跡に出ました。

 

 秋里籬島『木曽路名所圖會』巻二によれば、

 

 太田川 驛の東にあり。舟わたしなり。木曾川の下流にて、早瀬なり。

 

 大田南畝『壬戌紀行』も、

 

 舟に乗るに、流れ急にして目くらめくばかりなり

 

と書いていますから、早瀬で急流だったようです。

 

 

 上画像は、大田橋から上流方向を見たもの。

 

 見えているのは、国道21号の新大田橋、その向こうは今渡ダムです。

 

 

 

 次は、同橋から下流方向を見たもの。

 

 遠くに見えているのは、国道41号の中濃大橋、その向こうは鳩吹山でしょうか。

 

 

 

 続けては、太田橋右岸の下流から、太田橋を見たもの。

 

 太田橋は1926年供用開始のトラス橋。現在は市道ですが、かつては国道21号線の橋でした。

 

 

 

 さて、太田川右岸の堤防を歩き、

 

 

 上画像の道標で、堤防を下り、

 

 

 

水神に手を合わせた後、

 

 

 

神明水神公園から、太田宿に入りました。(次回に続く)