先日、旧中山道を、御嵩から鵜沼まで歩いてみました。
新可児駅で御嵩行に乗り換え、
終点「御嵩駅」で下車。
同駅は一面一線で、
木造平屋建ての無人駅、1952年の開業です。
上画像は、駅前の「御嵩町観光案内図」。
可児郡御嵩町の中央を流れているのは可児川で、旧中山道は、同川の右岸を右左折しながら通っていきます。
実は、御嵩駅前も旧中山道。
上画像は、秋里籬島『木曽路名所圖會』の挿圖「御嶽驛 可児薬師」。
木曽路(中山道)は、願興寺の南(手前)から西(奥)へと、ほぼ直角に曲っていきます。
同圖會の本文を見ると、
大寺山願興寺 御嵩宿の西にあり。天台宗。(略)此霊尊は東山道第一なれば、往きかふ人馬を止め、竹輿を出で、精舎に入りて拝すべしとぞ。
ということなのですが、私が行った日は、
残念ながら、修理工事中。
精舎に入らず、門前で拝した後、次の伏見宿に向かうことにしました。
旧中山道を西に進み、
御嵩町中公民館の先の角を、右折し、
国道21号線の中交差点を左折します。
このあたりは、旧岐阜県可児郡中村で、
しばらく歩いていくと、右手の道端に「鬼の首塚」。
『木曽路名所圖會』巻二を見ると、
鬼首塚 合渡中村の間にあり。むかし關太郎という盗賊あり。それを刑したる首塚なり。
次に、十返舎一九『木曾道中膝栗毛』五篇下を見ると、
明れば伏見の驛を立出桶縄手といふに至る此所は昔關の太郎といへる鬼の首を桶に入れて都に遣るにかの首次第に重くなりて數十人の力におよばず此所に桶のまゝ埋めたる故かく名付しと言傳ふる由を聞て
桶縄手今もその名は朽ざりき盬漬にせし鬼の首かも
さて、私は弥次喜多の二人とは逆方向、鬼の首塚から伏見の驛に向かいます。
大田南畝『壬戌紀行』も、逆方向なので
一里塚をこえひゑ村をすぐ
ということになりますが、
比衣一里塚跡跡から旧道に入り、東海環状自動車道の高架下をくぐると、
上画像の道標で、再び国道21号線に合流、
伏見駐在所から旧道に入り、川を渡り、坂を上ると、
伏見宿本陣跡の石碑が見えてきました。
伏見は、中山道50番目の宿場。現地に立つ案内板によれば、御嶽宿の間宿から約90年後に整備されたもの。
『木曽道中膝栗毛』を見ると、弥次さん喜多さんは、
斯て伏見の驛に着てかの山松屋という旅籠やのあるを見ば小家なれど其座敷向萬端小奇麗に見ゆれば軈こゝに宿をとりて風呂にも入り食事も済みたるに
ということなので、本陣ではなく、小家なれどこぎれいな旅籠山松屋に宿をとったようです。
*『蜀山人全集 巻一』(吉川弘文館、1907年)