(前回「中山道:河渡宿から加納へ」より続く)
先日、加納から鵜沼までの、旧中山道を歩いてみました。
今回の出発点は、名鉄名古屋本線の加納駅。
駅前から岐阜県道1号岐阜南濃線に入り、踏切を渡るのですが、これがいわゆる「開かずの踏切」。
岐阜県・岐阜市・名鉄が事業主体で、岐阜ー岐南駅間の高架化と、加納駅・茶屋駅の統合が計画されているようです*。
さて、踏切を渡ったところで、加納安良町交差点を右折
「中山道加納宿東番所跡」から、旧中山道に入ります。
大田南畝「壬戌紀行」(享和二年)**によれば、
木戸を出て右へまかり土橋をわたりて
東番所跡から、先ほどの県道1号を横断し、突き当たった三叉路を右折します。
かつて「土橋」だったのは、おそらくは「荒田川」。
名前通りの荒れ川で、別名「百曲川」の蛇行河川だったようです***。
ただ、その後改修工事により、現在は直線的な流路の「新荒田川」。
橋梁の上を名鉄線が交差し、通過していきました。
さて、突き当たりを左折し、熱田に向かう道を右に分けると、
名鉄茶所駅に、「中山道加納宿」の石標。
東海道本線の高架下をくぐり、旧中山道である、県道181号岐阜那加線を東に歩いていきます。
上川手から領下にかけては、旧家が見られるところ。
また、領下の地蔵堂は、かっての追分で、道標の文字は、
正面は「伊勢 名古屋 ちかみち 笠松 □一里」、側面は「木曽路 せき 上有知 郡上道」「西 京道」、裏面は「明治九年一月建之 遠藤平左衛門」です。
領下から、さらに中山道を東に歩いていくと、「細畑の一里塚」が見えてきました。
塚が、左右に一対で
残っているのは貴重だと思います。
大田南畝が『壬戌紀行』**で、
細畠村を過て、切通しの立場なり。
と書いたように、細畑の次の集落「切通」はかつての立場。
伊豆神社から東に歩いていくと、
岐阜信用金庫切通支店の前に、「切通の由来」という案内板がありました。
享保三年(1802)以降の細畑や切通、蔵前は磐城の平藩領。
切通には陣屋が置かれていたようです。
*『中日新聞』2022年2月27日、「開かずの踏切解消へ 名鉄岐阜ー岐南駅、高架化事業に着手」。
**『蜀山人全集』巻一(吉川弘文館、1907年)
***伊藤安男編著『地図で読む岐阜』(古今書院、1999年)