(前回「旧中山道:揖斐川から美江寺宿へ」より続く)
美江寺宿を出て、旧中山道を河渡宿に向かいます。
秋里籬島『木曽路名所圖會』(1805年)によれば、
美江寺 河渡まで一里六町。驛中左右相對して巷をなす。艅は散在す。
ということで、河渡宿までは一里六町。
上画像は「本田代官所跡」。
大田南畝『壬戌紀行』(1802年)*によれば、
ぼんでん村をへて板橋を渡る川をいつぬき川といふにや。
『木曽路名所圖會』(1805年)によれば、
糸貫川 本田村の東を流るゝなり。伊都貫川とも書く。
本田村の東を流れる糸貫川を渡ります。
馬場前畑町で、中山道は南東に向きを変えるのですが、道標によれば、
美江寺宿1.9km⇔河渡宿1.9km
で、ここが両宿の中間地点。
ここから、生津小学校の南を抜け、県道23号北方多度線(本巣縦貫道)を、生津交差点で渡ることになります。
大田南畝『壬戌紀行』(1802年)*によれば、
なまづ村を過て松原をゆく
秋里籬島『木曽路名所圖會』(1805年)では、
川より東、河渡の宿までの間を生津畷と云ふ。
かつては「生津畷」、松並木が続く道だったでしょうか。
さて、天王川を渡り、河渡宿に入ります。
上画像は、『木曽路名所圖會』巻二の挿圖「河渡川」。
右上に描かれている木橋には「糸ぬき川」、対岸の
集落には「ほんでん村」との文字。
そこから中山道を進むと「河渡川」を渡ることになります。
同図会の本文に、
河渡川 水源は山縣郡武儀郡上を過ぎて、賀茂郡の所々にて落ち合ひ、長柄・岐阜・墨俣へ流れ、末は勢州桑名へ入る。此所舟わたしなり。
と書かれるように、中山道の此の所は「舟わたし」。
河渡 加納まで一里半。宿の東端に川あり。長柄川の下流なり。此所より岐阜へ三十町あり。
さらに、美濃国幕領の年貢米(御城米)を、川舟に積み、
当村渡場より川舟ニ積、桑名江十里川下ヶ仕候
桑名に運ぶ「渡場」でもあったようです**。
さて、現代の私は、河渡橋で長良川を渡ります。
上流方向に見えているのは、岐阜金華山で、
下流方向に長く伸びているのは、養老山地。
そして堤防をはさんだ西方向は、雪をつけた伊吹山(左奥)と池田山(右正面)です。
*『蜀山人全集 巻一』(吉川弘文館、1907年)
** 岐阜大学地域科学部地域資料・情報センター『地域史料通信』第6号(2014年10月)