先日、関ヶ原から美濃赤坂までの、旧中山道を歩いてみました。

 

 

 この日のスタートは、JR東海道線関ヶ原駅。

 

 

 関ヶ原と云えば、やはり古戦場ということになるのでしょうが、史跡めぐりは。また別の日のお楽しみにして、駅前の道を南進。

 

 国道21号線に出たところで左折します。

 

 

 上画像は、東公門交差点南東角に立つ、明治32年創業という老舗「関ヶ原醸造株式会社」。

 

 

 関ヶ原東町交差点の先で、左の側道に入り、

 

 

 

 一ツ軒交差点で手前で,いったん国道21号に合流するものの、その先で再び左の側道に入ると、

 

 

上画像の松並木。

 

 

 右手には「六部地蔵公園」があり、

 

 

六部地蔵様。

 

 

 岐阜県内には、旧中山道の宿駅が17宿あるのですが、

 

 

現地の案内板によれば、野上の松並木は、岐阜県内の中山道ではここにしか残っていない、貴重なもの。


 

 また、野上は、関ヶ原の戦いの折、山内一豊が布陣したところであり、

 

 

 秋里籬島『木曽路名所圖會』(文化二年)によれば、

 

 野上里 関ヶ原と垂井の間にあり。いにしへは驛なり。

 

 

 また、「六百番歌合」*を見ると、

 

  十番 左定家朝臣 右寂蓮

 

 一夜貸す野がみの里の草枕むすび捨てける人の契を

 恨むべき方こそなけれ東路の野がみの庵の暮方の空

 

「夫木和歌抄」**巻第二鶯に

 

歌集 不破の關あさ越ゆけはかすみ立のかみのかたにうくいすとなく 隆信朝臣

 

という和歌が残る、歴史ある土地柄。

 

 

 江戸時代には垂井宿と関ヶ原宿の間の宿でした。

 

 

 野上の集落をさらに東進すると、

 

 

 伊富岐神社の一の鳥居があり、

 

 

 

日守西の交差点で国道を渡ると、垂井一里塚が見えてきました。

 

 

 

この辺りは関ヶ原の戦いの折の、浅野幸長陣跡。

 

 

 

 一里塚が残るのは南側のみですが、これは中山道では貴重な遺構。

 

 「垂井一里塚」として、国の「史跡」です。

 

*『國歌大観 續 増補改版』(紀元社書店、1925年)

 

**『夫木和歌抄』(国書刊行会、1906年)