(前回「浜松周辺の鉄道地図を見ながら(前)」より続く)

 

 

 上図は名古屋鉄道局編『中部日本名勝案内圖』(1928

年)。

 

 左の濱松が切れてしまっていますが、旭町~遠州二俣間を結んでいるのは「遠州電気鉄道」。

 

 鐵道省『鐵道旅行案内』(1930年)によれば、

 

 遠州電気鐵道 市内旭町から遠州二俣まで十九粁。

 

 外山勝彦「遠州鉄道」*によれば、中ノ町線と笠井線は、1925年経営が分離され、当時、濱松電気鐵道。

 

 中ノ町線(遠州馬込~中ノ町)の軌道営業は、1937年2月18日に廃止**。

 笠井線(遠州西ヶ崎~笠井間)も、1944年12月10日廃業しました***。

 

 次に、新中泉~田川間は、光明電気鐵道。1928年11月20日の開業です****。

 社名は「光明」だったのですが、1936年7月20日、鉄道運輸営業が廃止許可*****。

 

 磐田市教育委員会教育部文化財課「いわた文化財だより第196号」(令和3年7月1日発行)によれば、

 

「光明電気鉄道」は、昭和の初め、天竜川左岸の平野を走り抜けまし た。10 年に満たない短命でしたが、南北の村や町を結ぶ夢の実現でした。(略)幻と呼ばれる「光明電気鉄道」の姿をわか りやすく紹介しています。

 

 実働10年に満たない、「幻の鉄道」でした。

 

 さらに、中泉停車場~池田間にはかつて、1909年開業の「中泉軌道」がありました。

 

 静岡縣磐田郡教育會『静岡縣磐田郡誌』(1921年)によれば、

 

 【中泉軌道】池田村北浦より中泉町川東まで三哩四十八鎖にして、人力を以て運轉す。明治四十二年十月開業す。

 

 旧東海道の路上に敷かれた約9kmの軌道上を人力で押す「人車」。

 「大変な重労働だった」ようで、1933年廃止されました******。

 

 ところで、大和田建樹「鐵道唱歌」に、

 

25 掛川袋井中泉いつしかあとに早なりて さかまき来る

 天龍の川瀬の波に雪ぞちる

 

と唄われているように、掛川・袋井の次は、上図にも見られる「中泉」。

 

 静岡縣磐田郡教育會『静岡縣磐田郡誌』(1921年)によれば、

 

 本郡に於ける東海道鐵道は、東京驛より百五十五哩二に袋井驛あり。百六十哩中泉驛あり。

 

 中泉駅は、1942年、磐田と改称しました。

 

 

 上画像は昨年11月に撮影した、現在のJR磐田駅です。

 

*『鉄道ピクトリアル』NO.652(1998年4月臨時増刊号)

**『官報』1937年5月5日

***『官報』1945年5月22日 

****『官報』1928年11月24日

*****『官報』1936年7月22日

******『遠州地方の交通発達史』(遠州鉄道株式会社、1993年)