(前回「旧東海道袋井宿」より続く)
旧東海道五十三次袋井宿から、次の見付宿に向かいます。 袋井市本町宿場公園から宇刈川に架かる御幸橋を渡ると、旧川井村(現:袋井市川井)。 |
上画像は、旧津野医院。
洋館と病棟については、昭和初期の建築と考えられ、袋井市の指定文化財です。
木原の集落に入ると、
木原一里塚跡。
前回取り上げた、久津部一里塚は江戸から60番目。それに対して、木原一里塚は61番目。
1999年、一里塚跡の西側数十mの地点に、塚が復元されました。
袋井市立図書館のウェブページ「木原一里塚の復元」によれば、塚の直径は五間、高さは一間半。
植えられているのは榎だそうです。
さて、大田南畝「改元紀行」*に、
ここは木原といふ所なり、三香野橋を渡り、
十返舎一九『東海道中膝栗毛』三編下**に、
みかのはしをうちわたり
と書かれる「三ヶ野橋」を渡ると、
距離は短いのですが、松並木の間を、
西南西に歩くことになります。
正面に見えるのは、大田南畝「改元紀行」*に、
みかの坂を上れば、
と書かれる「みかの坂」。
右手に折れると「大正の道」、
直進が「明治の道」で、
その「明治の道」を途中から左折すると「江戸の古道」。
坂を上り、
突き当たりを右折すると、見付宿に向かう旧東海道で、
左折すると「大日堂」。
正面には。太田川をはさんで、遠く袋井の町なみ、
左下を走るのは、国道一号です。
大田南畝『改元紀行』*を見ると、
左右に松の木立ありて、右に山のつらなるは、五色山といへるにや。左のかたに湯殿山権現の賽銭箱を出せり
と書かれているので、かつては松の木立があり、賽銭箱もあったのでしょうか。
湯殿山の本地仏は大日如来***です。
さて、先ほどの分岐に戻り、右折すると、明治の道と合流します。
旧東海道を見付宿に向かって、西進していくと、
「従是西見付宿」という新しい「傍示杭」。
行人坂を上り、
旧国道1号(現:県道413号磐田袋井線)を横断歩道で渡ると、
富士見町。
1915年に建てられたという秋葉灯籠があり、坂を下ると、
見付宿に入ります。
左手に「見付宿と阿多古山一里塚」の案内板があったので、登ってみると、
一里塚の標石と
四等三角点がありました。
基準点名は「見付」、標高は30.94mです。
この一里塚は江戸から62里、京から64里の位置にあり、市の史跡。
塚が残っているのは貴重だと思います。
さて、この日は、JR東海道線磐田駅に出て、帰路に就きました。
*『蜀山人全集』巻一(吉川弘文館、1907年)
**十返舎一九『東海道中膝栗毛(上)』(岩波文庫、1973年
***五來重『山の宗教ー修験道案内ー』(角川ソフィア文庫、2008年)