上画像は、JR東海道線掛川駅。

 

 

  北口を出て、駅前広場から

 

 

県道254号掛川停車場線を北進し、連雀西交差点を左折、旧東海道(県道37号掛川浜岡線)に入ります。

 

 

 上画像は、中町交差点北東角の清水銀行掛川支店。

 

 

 壁面のレリーフは、掛川城主であった山内一豊とその妻千代です。

 

 

 次の画像は、法輪山圓満寺。

 

 

 山門は「掛川城 蕗の門」を、1872年に移築したもの。

柱は下を、二尺五寸切り取られたようです。

 

 

 旧東海道を西へ向かうと、成田山遙拝所と常夜灯、

 

 

十九首塚史跡公園がありました。

 

 

 盧橘堂適志編『東海道巡覧記』に、

 

 十九首町 上り下り立場なり

 

と書かれているように、かつての十九首町は立場。

 

 大田南畝の紀行文「改元紀行」*によれば、

 

 十九首町といへる立場ありときゝしが、まことにや、行々且行々の心なるべしとをかし、そばむぎよしときゝて、輿の中にてあさる

 

蕎麦が名物だったようです。

 

 

 さて、倉真川に架かる大池橋を渡ると、上画像の案内板。

 

 左折すると東海道ですが、『東海道名所圖會』(1797年)巻四に、

 

 掛川より秋葉山まで九里半なり

 

 十返舎一九東海道中膝栗毛』三編下**(1804年)に、

 

 斯興じ打わらひつゝ、やがて秋葉三尺坊へのわかれ道にいたり、弥次郎兵へ遙拝して

 脇差の弐尺五寸もなにかせん三尺ぼうの誓ひたのめば

 

と書かれているように、直進すると秋葉山(三尺坊)への秋葉街道。

 

 

 大田南畝「改元紀行」(1801年)*に、

 

 おいけの橋といふ むかひに秋葉山大権現の銅鳥居たてり、ここより九里餘ありとそ、橋をわたりて左すれば大池村なり

 

と書かれているので、かつては銅鳥居があったのでしょうが、現在は道端に木造の鳥居と、

 

 

秋葉神社の祠です。

 

 さて、大池橋交差点を左折し,県道253号掛川袋井線に入ります。

 

 

 

 静岡ガスセンター株式会社脇の松並木には、

 

 

距離は短いのですが、土塁も残り、当時を偲ばせます。

 

 

 逆川左岸をさらに進むと、細田・沢田の集落。

 

 大田南畝「改元紀行」(1801年)*に、

 

 澤田狭井田をへて綱川の橋をわたり、腹川といふ立場にいたる。

 

 『膝栗毛』三篇下**(1804年)では、

 

 それより沢田、細田を打すぎ、砂川の坂道にかゝりけるに、両方より木立茂りて日の陰くらく、折ふしゆきゝもとだへるに、

 

なのですが、この「綱川」・「砂川」は、現在の「垂木川」でしょうか。
 

 国道一号線、次いで東名高速道路のガード下をくぐると、垂木川左岸を歩くようになり、

 

 

同川に架かる善光寺橋を渡ると、「善光寺如来」との標石が立つ、

 

 

夏涼山仲道寺が見えてきました。

 

 「仲道」という寺号の由来は、

 

 

東海道ネットワークの会21『決定版 東海道五十三次ガイド』(講談社α文庫、2005年)によれば、

 

東海道のちょうど真ん中に位置することから「仲道寺」とも呼ばれている。

 

 次回の記事では、「東海道どまん中茶屋」のある袋井宿に向かいます。

 

*『蜀山人全集』巻一(吉川弘文館、1907年)

 

**十返舎一九『東海道中膝栗毛(上)』(岩波文庫、1973年)